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海は見ていた

「海は見ていた」

山本周五郎の「なんの花か薫る」と「つゆのひぬま」を黒沢明が脚本化。自分で撮るはずだったが、その願いをかなえられないまま黒沢は他界した。それを黒沢プロの依頼で熊井啓が映画化した。黒沢だったら、クライマックスの暴風雨と洪水のシーンはダイナミックな映像を見せてくれたはずだが、熊井啓はそういう部分があまり得意ではない。物語を収斂させていくこの部分が弱いので映画全体もなんだか締まりに欠け、焦点が定まらない印象になった。緩やかに増えていく水の描写はのんびりしており、画面に生きるか死ぬかの緊迫感が足りないのである。

もっとも、それ以前の部分も決して出来がいいわけではない。前半は深川の岡場所を舞台に遊女・お新(遠野凪子)が刃傷事件を起こして勘当された侍・房之助(吉岡秀隆)に抱く純な思いを描く。「こんな商売をしていても、きっぱりやめれば汚れた身体もきれいになる」という言葉に心動かされたお新と仲間の遊女たちはお新の客を代わりに引き受け、お新と房之助の結婚を夢見るようになる。ところが、房之助はお新との結婚などまったく考えていなかった。本人にはまったく悪意はなく、単なる鈍感で善良な男なのだが、迷惑なやつであることに変わりはない(“こんな商売”という言い方も気になる)。遊女たちの勘違いから端を発したことを考えれば、これは軽妙な話のはずなのに、遠野凪子の演技はシリアス。この設定でシリアスに来られると、戸惑わざるを得ない。熊井啓の演出もメリハリに欠け、まじめすぎると思う。

後半は不幸な身の上の良介(永瀬正敏)を好きになるお新と、お新の姐さんに当たる菊乃(清水美砂)のエピソードが絡む。菊乃は武家の出身だが、ヒモの銀次(奥田瑛二)から離れられず、吉原から渡り歩いてきた。材木商の隠居・善兵衛(石橋蓮司)から身請け話が進むが、銀次から別の岡場所へ売られそうになる。そこへ暴風雨と洪水が押し寄せるわけである。永瀬正敏も清水美砂も石橋蓮司もうまいし、話自体も悪くない。この後半だけを膨らませても良かったのではないか。前半のエピソードからすぐに後半の別の話に移行するこの脚本、決してうまいとは言えないと思う。2つの短編をただつなぎあわせるのではなく、並行して描いた方が良かっただろう。「隠し砦の三悪人」や「七人の侍」など絶頂期の黒沢の映画が面白かったのは脚本をチームで書いていたからで、晩年、黒沢が単独で書いた脚本には感心する部分はあまりなかった。

遠野凪子は昨年の「日本の黒い夏 冤罪」に続く熊井啓映画への出演となる。頑張ったあとはうかがえるが、まだまだだと思う。演技の引き出しが少なく、表現力も足りない。笑顔や泣き顔を見せるだけではダメである。微妙な感情表現の仕方をもう少し身につけてほしい。これはある程度、人生経験も伴わないと難しいだろう。ちなみにこの作品、カンヌ映画祭に出品しようとしたが、できなかった。カンヌの事前審査に通らなかったらしい。つまり予選落ち。もしかしたら、内容が外国人には分かりにくかったのではと思っていたが、これぐらいの出来であるなら、予選落ちも仕方がない。

【データ】2002年 1時間59分 配給:ソニーピクチャーズ・エンタテインメント 日活
監督:熊井啓 製作総指揮:中村雅哉 製作:町田治之 宮川鉱一 安藤孝四郎 里見治 鳥山成寛 依田弘長 堀龍俊生 小川祐治 企画:黒沢久雄 プロデューサー:猿川直人 原作:山本周五郎「なんの花か薫る」「つゆのひぬま」 脚本:黒沢明 撮影:奥原一男 美術:木村威夫 音楽:松村禎三 製作協力:黒沢プロダクション
出演:清水美砂 遠野凪子 永瀬正敏 吉岡秀隆 つみきみほ 河合美智子 野川由美子 鴨川てんし 北村有起哉 加藤隆之 土屋久美子 石橋蓮司 奥田瑛二

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