イグジステンズ

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「イグジステンズ」 デヴィッド・クローネンバーグ3年ぶりの新作。オリジナルストーリーとしては「ビデオドローム」(1982年)以来、17年ぶりの作品となる。メタフレッシュ・ゲームポッドと呼ばれる有機体(突然変異生物)でできたヴァーチャル・ゲーム機を巡る話だが、観客にも登場人物にも現実とゲームの世界に区別がつかなくなってしまう−というだけの展開だから、小粒な印象は否めない。岡嶋二人「クラインの壺」を思わせる世界で、「クラインの壺」に感じた物足りなさは、そのままこの映画にも当てはまる。主人公に敵対する巨悪の存在を出すとか、ゲームの世界が実際に現実世界を浸食するだとか、SF的なスケールの大きさが欲しかったところだ。全体としては明らかにB級SF。それでも贔屓の引き倒しの目で見ると、グニャグニャしたゲーム機をはじめとしたガジェットや過去の「裸のランチ」を思わせる描写など、見どころはある。主演の2人、ジェニファー・ジェイソン・リーとジュード・ロウも好演といっていいだろう。

新作ゲーム「イグジステンズ」の発表会場でゲーム製作者のアレグラ・ゲラー(ジェニファー・ジェイソン・リー)は不思議な銃を持った男から命を狙われる。肩を撃たれたゲラーは警備員見習いのテッド・パイクル(ジュード・ロウ)に助けられ、一緒に逃亡。近未来、ゲーム機は背中に開けたバイオポートから脊髄に直接ダウンロードして行うようになっていた。間違えば、下半身不随になることもある。テッドはそれが怖くてバイオポートを持っていなかったが、ゲラーの説得でガソリンスタンド店員(ウィレム・デフォー)から穴を開けてもらう。しかし、その穴は不正なバイオポートだった。プラグをつないだ瞬間、強い電流が流れ、ゲーム機は壊れる。店員もゲラーの命を狙っていたのだ。間一髪でそれを逃れた2人はゲーム機を直すため、モーテルで一緒にプレイする。イグジステンズは究極のヴァーチャル・ゲーム。2人はその中で別のゲームを試す。ゲームの中のゲームの世界。イグジステンズの世界を終了してもそこはまた別のゲームの世界だった。現実かゲームか、次第にその境界は分からなくなっていく。

中華料理店で突然変異生物の料理を貪り食う場面など、内臓感覚で描かれるゲーム世界の描写が大きな見どころ。ゲーム機自体、生き物のようでグロテスクだ。バイオポートに臍の尾のようなプラグを差し込む描写は明らかにセックスで、「ラビッド」のそれとよく似ている。ジェニファー・ジェイソン・リーはセクシー。10歳年下の若いジュード・ロウとの組み合わせでも少しもおかしくない。クローネンバーグはSFをよく分かっている監督だから、描写にも説得力があるが、だからこそSF的な広がりのなさが惜しまれる。

【データ】1999年 アメリカ 1時間37分 ギャガ・ヒューマックス共同配給
監督・脚本:デヴィッド・クローネンバーグ 製作:ロバート・ラントス アンドラス・ハモリ デヴィッド・クローネンバーグ 撮影:ピーター・サスキツキー プロダクション・デザイナー:キャロル・スピア 編集:ロナルド・サンダース 音楽:ハワード・ショア ビジュアル・アンド・スペシャル・エフェクツ・スーパーバイザー:ジム・イサック 衣装:デニス・クローネンバーグ
出演:ジェニファー・ジェイソン・リー ジュード・ロウ イアン・ホルム ドン・マッケラー キース・レネエ サラ・ポーリー クリストファー・エクルストン ウィレム・デフォー

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どら平太

「どら平太」 山本周五郎の「町奉行日記」を四騎の会の4監督(黒沢明、市川崑、小林正樹、木下恵介)が脚本化したのが1969年。他の3監督は既に亡く、ただ一人現役の市川崑がようやく映画化を実現した。念願のとか、悲願のというニュアンスではないようだが、それでも今年85歳の市川崑にとってある種の決意が必要だったのではないかと思う。話の設定に少し弱い部分もあり、傑作と胸を張って断言できないのがとても残念だが、痛快娯楽時代劇として市川崑の近年の低迷を払拭する出来ではある。独自の細部へのこだわり、映像へのこだわりが随所に見られ、主役の役所広司も期待にこたえる熱演を見せる。ゲスト出演的な他の俳優も演技を楽しんでいるようで、豊かさを感じさせる映画になった。市川崑の健在ぶりを確認できる作品である。

ある小藩。主人公の望月小平太(役所広司)は剣の達人だが、放埒なふるまいから、道楽者の平太=“どら平太”と呼ばれる。江戸に住んでいたが、藩主の命を受け、町奉行として藩の腐敗を正すことになる。この藩には濠外(ほりそと)と呼ばれる地区を3人の親分が支配し、密輸・売春・賭博・殺傷が横行している。藩の重職は腐敗を黙認し、「藩の財政を豊かにするため」との名目で親分たちから巨額の利益を吸い上げていた。どら平太は遊び人になりすまし、濠外に侵入。豪快な遊び方と腕っ節の強さで2人の親分と兄弟分の杯を交わすが…。

設定の弱さというのは悪役が極悪非道ではないこと。最初は凄みを感じさせるものの、親分たちも家老たちもユーモラスに描かれているから、それほど卑劣な悪人に見えない。黒沢明「用心棒」や「椿三十郎」(特に「椿三十郎)を思わせる設定なのに、黒沢作品にあったようなエモーショナルな高まりがないのである。ここは誰か一人でも親分たちの悪行に苦しめられている人物(借金のカタに娘を要求される父親とか、よくあるパターンでもかまわない)を具体的に描き、悪に対する憎しみを観客に伝えられれば、説得力が増したと思う。劇中で50人斬りを見せるように主人公が強すぎて、一度も危機に陥らないのもマイナス。主人公の行動は悪に対する怒りではなく、藩主の命令なので(少なくともそのようにしか見えない)、腐敗が全部正されてもカタルシスが少ない。予定調和の世界なのである。

主人公がすべて峰打ちで1人も斬らないのは、黒沢明が「用心棒」などで人を殺しすぎたと反省したからだという。そうであれば、これは黒沢明の計算違いと思う。遺稿を映画化した「雨あがる」の温厚な主人公でさえ、殺傷場面はあった。いつも飄々としたどら平太が感情を爆発させる場面を見たかったと思う。

役所広司は時代劇風のセリフ回しではないが、口跡が良いのに感心する。宇崎竜童、片岡鶴太郎も好演。このほか市川崑の映画でおなじみの加藤武なども楽しく、この映画、それが弱点につながっていると分かっていても、コミカルな味わいに捨てがたいものがある。浅野ゆう子は最初に登場した場面(どら平太を難詰する場面)ではちょっと違うなと思ったが、どら平太を捜して濠外に侵入する場面の夜鷹の格好は色気を感じさせて良かった。もう少しこの2人の関係に重点を置いても良かったかなと思う。

【データ】2000年 1時間51分 製作:どら平太製作委員会 日活 毎日放送 読売広告社 配給:東宝
監督:市川崑 製作総指揮:中村雅哉 製作:西岡善信 原作:山本周五郎「町奉行日記」(新潮社) 脚本:市川崑 黒沢明 木下恵介 小林正樹 撮影:五十畑幸勇 美術:西岡善信 音楽:谷川賢作  出演:役所広司 浅野ゆう子 宇崎竜童 片岡鶴太郎 うじきつよし 尾藤イサオ 大滝秀治 神山繁 加藤武 三谷昇 津嘉山正種 岸田今日子 江戸家猫八 菅原文太

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アンドリューNDR114

BICENTENNIAL MAN

「アンドリューNDR114」 アイザック・アシモフの原作を映画化したSFラブ・ストーリー、と言っていいと思う。愛のためにロボットが人間になろうとする話。原作では人間とロボットの違いを明示することで、死を避けられない人間の素晴らしさを強調していた。映画はそんな側面を継承しつつもラブ・ストーリーに重点を置いているのである。そしてこのことで元のテーマも明確に浮かび上がっている。人間には感情があるから、愛することができるから素晴らしい、というテーマ。200年にわたる話なので、駆け足の描写もあるけれど、ロボットに扮するロビン・ウィリアムズと彼が愛する女性ポーシャ役のエンベス・デイビッツの清潔感が良く、クリス・コロンバスの演出も水準を維持している。

主人公のアンドリュー(ロビン・ウィリアムズ)は料理、掃除、子どもの遊び相手などをする人間型ロボット(アンドロイド)。郊外に住むマーティン家の父親リチャード(サム・ニール)が購入した。マーティン家は妻(ウェンディ・クルーソン)と長女(リンジー・リザーマン)、次女(ハリー・ケイト・アイゼンバーグ)の4人暮らし。名前はリトル・ミスと呼ばれる次女が“アンドロイド”を“アンドリュー”と間違えたことで決まった。その晩、意地悪な長女はアンドリューに2階の窓から飛び降りるように命じる。アンドリューは命令に従い、体に大きなダメージを負う。これを機会にリチャードはアンドリューを人間と同等に扱うよう娘たちに命じる。ある日、アンドリューはリトル・ミスが大事にしていた小さなガラスの馬を壊してしまう。「アンドリューなんて大嫌い」といわれたアンドリューは木工の本を読み、木彫りの馬をプレゼントする。アンドリューには学習能力のほかに普通のロボットにはない創造性があった。そして以後、リトル・ミスとアンドリューは交流を深めていく。

映画はこの後、成長したリトル・ミス(エンベス・デイビッツ)の結婚、リチャードの死、リトル・ミスの孫娘ポーシャ(デイビッツの2役)との出会いと続く。この過程でアンドリューは自分の特殊性を認識し、同時に人間に近づきたいと思うようになる。服を着るようになり、人工の皮膚を付け、感情を持つようにアップグレードしていく。そしてポーシャとの愛に目覚め、より完全な人間になろうと決意するのだ。ポーシャはデイビッツの2役であるため、アンドリューにとっても観客にとってもこの2人の愛は“200年にわたる愛”のように思えてくる。ここが映画の独自性で、時の流れには勝てない人間の哀しさ、それにもかかわらず、だからこそ人間は素晴らしいという訴えが浮き彫りになってくる。

SFラブ・ストーリーと書いたけれど、これが明確になるのは映画が3分の2を過ぎたあたりから。なにしろ半分ぐらいまでアンドリューは機械の顔のままなのだ。もっと早くから2人の愛に焦点を絞った方が良かったかもしれない。それと気になったのは、アンドリューの特殊性がどこから生まれたのか分からないこと。製造工程で回路に異常を来した単なる欠陥商品だったのか、それとも2階の窓から飛び降りて壊れたのが原因で特殊になったのか。物語の発端に関する部分なので、ここをしっかり描いて欲しかったと思う。

【データ】1999年 アメリカ 2時間11分 コロンビア映画・タッチストーン映画 配給:ソニー・ピクチャーズ・エンターテインメント
監督:クリス・コロンバス 原作:アイザック・アシモフ「バイセンテニアル・マン」(創元SF文庫「聖者の行進」所収) ロバート・シルバーバーグ「アンドリューNDR114」(創元SF文庫・アシモフの中編を長編化したもの) 脚色:ニコラス・カザン 製作:ウォルフガング・ペーターゼン ゲイル・カッツ ローレンス・マーク ニール・ミラー クリス・コロンバス マイケル・バーナサン 製作総指揮:ダン・コルスラッド 撮影:フィル・メイヒュー 美術:ノーマン・レイノルズ 衣装デザイン:ジョゼフ・G・アウリシ 音楽:ジェームズ・ホーナー 主題歌「ゼン・ユー・ルック・アット・ミー」(セリーヌ・ディオン)
 出演:ロビン・ウィリアムズ エンベス・デイビッツ サム・ニール オリバー・プラット キルスティン・ウォーレン ウェンディ・クルーソン ハリー・ケイト・アイゼンバーグ リンジー・リザーマン アンジャラ・ランディス ジョン・マイケル・ヒギンズ ブラッドリー・ウィットフォード イゴー・ヒラー

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インサイダー

THE INSIDER

「インサイダー」 アメリカの大手たばこ会社ブラウン・アンド・ウィリアムソン(B&W)とテレビ局CBSを舞台に2人のインサイダー(内部告発者)を描いた実話。これまでやや不本意な作品が多かったマイケル・マン監督が、真正面から正攻法の演出を見せ、骨太の社会派ドラマを描ききった。アメリカのジャーナリズム云々という狭い枠を超えて、これは信念を貫き通すことの難しさと重要さ、度重なる困難を自分の力で克服していくことの素晴らしさを訴えた映画であり、アメリカ映画でおなじみの個人対組織の闘いを描いた映画でもある。2時間38分の長丁場のため演出的に単調になる場面もあるのだが、瑕瑾にすぎない。すべて実名の迫力とアル・パチーノ、ラッセル・クロウの熱のこもった演技、最後まで持続する緊張感は有無を言わさない。所々で胸が熱くなるような傑作だ。

ローウェル・バーグマン(アル・パチーノ)はCBSテレビの人気報道番組「60ミニッツ」のプロデューサー。ある日、彼のもとにたばこ会社フィリップ・モリスの極秘資料が送られてくる。バーグマンは資料の意味を解き明かす人間を捜し、ジェフリー・ワイガンド(ラッセル・クロウ)に出会う。B&Wの研究部門副社長だったワイガンドは最近解雇された。ワイガンド自身も何か秘密を持つらしいが、会社と守秘契約を結んでおり、話すことができない。バーグマンとの接触を知った会社はワイガンドに卑劣な嫌がらせを始める。やがてワイガンドはバーグマンへの信頼と会社の横暴に対する怒り、自分の信念に基づき、「60ミニッツ」のインタビューで会社の秘密を暴露、法廷で宣誓証言もする。ところが、CBS上層部はインタビューの内容を危険と判断、バーグマンにインタビューを編集して放送するよう命じる。ワイガンドに対するいわれない中傷も始まり、いったんは編集版を放送せざるを得ない事態となるが、バーグマンはここで自らインサイダーとなり、大きなかけに出る。

元々は健康産業に勤めながら、報酬の高さからたばこ会社に移った科学者であるワイガンドは人体に有害なたばこへの操作に耐えられず、告発を決意する。しかし会社との守秘契約を破れば、退職金も医療保険も失う。しかも、一度たばこ会社に勤めた科学者は健康産業には戻れない。職を得るために受けた高校教師の面接で「あなたは優秀すぎる」と断られそうになったワイガンドは、「私は良い教師になります」と必死に答え、職を手にするのである。豪華な邸宅から小さな家(それでも日本人から見れば、立派な家だが)に引っ越し、家族と別れ、会社の嫌がらせを受けながらも告発に踏み切るワイガンドの苦悩と揺れ動く心情をラッセル・クロウ(アカデミー主演男優賞ノミネート)は見事に演じている。

バーグマンもまた信念の人である。「60ミニッツ」への誇りと情報源を決してあかさない矜持がある一流のジャーナリスト。「あなたたちはビジネスマンか、それとも報道人か」と会社の上層部を問い詰める姿はそれを象徴する場面だ。2人はいずれも窮地に陥るが、強固な意志の力でそれを乗り越えていく。2人は世論を信じているのだと思う。自分の告発や報道に何の反響もなければ虚しいが、アメリカの世論は動く、と2人とも信じている。その意味でこれはアメリカ社会に希望を持つ男2人の話でもある。アル・パチーノは「セルピコ」の昔からこうした正義感あふれる役柄を演じると本領を発揮する。もちろん、今回の役柄には「セルピコ」以上の複雑な陰影を与えている。

【データ】1999年 アメリカ 2時間38分 タッチストーン・ピクチャーズ スパイグラス・エンタテインメント提供 配給:東宝東和
監督:マイケル・マン 製作:マイケル・マン ピーター・ジャン・ブラッツ 脚本:マイケル・マン エリック・ロス 「ヴァニティ・フェア」の記事「知りすぎた男」マリー・ブレナー著に基づく 撮影:ダンテ・スピノッティ プロダクション・デザイナー:ブライアン・モリス 衣装:アンナ・シェパード 音楽:リサ・ジェラード ピーター・バーク
出演:アル・パチーノ ラッセル・クロウ クリストファー・プラマー ダイアン・ヴェノーラ フィリップ・ベイカー・ホール リンゼイ・クローズ デビ・メイザー スティーブン・トボロウスキー コーム・フィオレ マイケル・ムーア ジャック・パラディーノ ピート・ハミル

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ミッション・トゥ・マーズ

MISSION TO MARS

「ミッション・トゥ・マーズ」 ブライアン・デ・パルマ監督が手がけた初の宇宙SFで、デ・パルマ版「2001年宇宙の旅」とも言える内容。素晴らしくリアルなSFXを見せてくれるが、あまりにもありふれた結末に唖然としてしまう。見終わって複雑な気分になるのである。なぜこれほど素晴らしい技術があるのに、こんなにつまらない結末にしたのか。もったいない、としか言いようがない。実際、中盤の宇宙のシーンは他に例を見ないハードSF的描写が続き、期待が高まるのである。宇宙船への流星塵の衝突から船外活動での修理、にもかかわらず宇宙船が損壊、脱出、火星への自由落下(フリー・フォール)…。人間が惑星へ自由落下する場面を実写でこれほどリアルに描いた映画はほかにないと思う。ここだけでもとても貴重な映画である。なのにこの結末…。宇宙人の造型は使い古されたヒューマノイド型、事の真相もいつかどこかで見たような内容。脚本(グラハム・ヨストほか)にSF作家が加わっていれば、とかえすがえすも残念でならない。

2020年、人類は初めて火星に到達する。4人のクルーは火星探査の途中、巨大な白い山のようなものを発見。それにレーザーを向けた途端、4人は巨大な砂の渦巻きに襲われ、3人が死んでしまう。生き残ったルーク(ドン・チードル)から通信を受けた宇宙ステーションは救出のため、火星に2番目のクルーを送る。メンバーはウッディ(ティム・ロビンス)とテリー(コニー・ニールセン)の夫婦、妻を亡くしたジム(ゲイリー・シニーズ)、若いフィル(ジェリー・オコーネル)の4人。4人は順調に飛行を続けるが、火星まであとわずかというところで流星塵が宇宙船を貫通する。修理できたと思ったが、船体にはほかにも穴があり、燃料が漏れだしてエンジンが爆発。4人は宇宙服で脱出し、火星軌道にある補給船に乗り移ろうとする。この途中、ウッディが死亡。残った3人は何とか火星に到達し、生き残っていたルークと再会する。そして不思議な物体の秘密を探り、それが何らかのメッセージを出していることを突き止める。

登場する宇宙ステーションや宇宙船は回転することによって、遠心力を発生させ、重力の代わりにしている。「スター・ウォーズ」以降、人工重力など当たり前、といった安易な描写が普通になっている中で、この映画は「2001年宇宙の旅」と同様に、今ある科学技術を発展させた形でのSFXを展開しているのである。回転する宇宙ステーションなど久しぶりに見た。他のスペースオペラが無視してきた部分をリアルに再現していることには好感が持てる。それはNASAが全面協力していることと無関係ではないだろう。「『NASAに忠実であること』が製作スタッフの重要課題となった」とパンフレットにはある。なにしろ宇宙船にもしっかり「NASA」の文字があるのだ。宇宙服や火星軌道上にある物資補給船、宇宙船内の細部の美術も非常に納得のいくものである。火星への飛行にはうまく軌道に乗って6カ月かかるという設定は現実に即して考えれば、極めて当たり前の描写である。ただし、こうした素晴らしい宇宙の描写に比べて、火星での描写には特に際だったところはなく、過去の火星を舞台にした作品とそれほどの差はない。マーズ・パス・ファインダーが詳細な火星の姿を探ったとはいえ、まだ誰も行ったことがないのだから、これは仕方がないのだろう。

マニアックとも言える宇宙の描写にSFファンなら刮目するだろう。だからこそ、脚本の弱さが惜しまれる。ロバート・ゼメキス「コンタクト」ではクライマックスに登場する宇宙人の姿を人間の形で見せ、陳腐さを回避していたが、この映画のクライマックスもああいう処理で構わなかったと思う。現実からフィクションへと飛翔するビジョンが決定的に足りなかった。非常に惜しいところで傑作になりそこねている。

【データ】2000年 アメリカ 1時間54分 タッチストーン・ピクチャーズ スパイグラス・エンターテインメント提供 配給:ブエナ・ビスタ・インターナショナル
監督:ブライアン・デ・パルマ 原案:ローウェル・キャノン ジョン・トーマス ジム・トーマス 脚本:ジム・トーマス ジョン・トーマス グラハム・ヨスト 製作:トム・ジェイコブソン 製作総指揮:サム・マーサー 撮影:スティーブン・H・ブラム プロダクション・デザイン:エド・バリュー 視覚効果監修:ホイト・イートマン ジョン・ノール 衣装デザイン:サーニャ・ミルコビッチ・ヘイズ 音楽:エンニオ・モリコーネ
出演:ゲイリー・シニーズ ティム・ロビンス ドン・チードル コニー・ニールセン ジェリー・オコーネル ミューラー・スタール ピーター・アウターブリッジ キャバン・スミス ジル・ティード キム・デラニー

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