狗神

「狗神」 高知の山奥の村を舞台に描く土俗的なホラー。原田真人監督は古い因習と生活習慣に縛られた閉鎖的な村の風景、雰囲気を実にリアルに描き出している。これは坂東眞砂子の原作を上回る出来である。主演の天海祐希は驚くほどの魅惑的な好演で、他の出演者たちも端役に至るまで納得のいく演技を見せる。美術、セットを含めて舞台設定に関してはほぼ満点の映画といっていい。惜しいのは原作とは異なるクライマックスが弱いこと。呪われ、秘かに差別された狗神筋の一族が集う先祖祭りで起こる惨劇は中身も描写も今ひとつ物足りず、物語の落ち着く先として十分に機能しているとは言い難い。映画の中でも流れる「血と血を交じらせて、先祖の姿蘇らん」との歌にある“先祖の姿”の描写を省いたことで山奥の村の悲劇的な因縁話の域を出ていないのである。原作自体、クライマックスの描写には筆力が不足しているのだが、映画も描写にもっと迫力を込める必要があった。実際はどろどろした中身なのに意外にさっぱりした印象となったのは原田真人の都会的な資質のためだろう。重要なポイントとなっている女の性を描くのなら、今村昌平のような粘着質の描写が欲しいところではある。

山奥の尾峰という村の学校に教師・奴田原晃(渡部篤郎)が赴任してくる。晃はバイクのガス欠で困っていたところを小さな製紙工場を営む土居誠二(遊人)に助けられ、村を案内される。そこで誠二は手漉き和紙で生計を立てる美しい女性・坊之宮美希(天海祐希)に出会う。美希は結婚もせず兄夫婦とともに実家に住んでいた。高校生の頃、実の兄と知らずに本家の隆直(山路和弘)の子供を妊娠し、死産。それ以来、村から外へ出ることもなく、ひっそりと暮らしている。出会った時からお互いに好意を感じていた美希と晃は仕事場の裏山に和紙の原料を取りに行った際、雨に降り込められ、杉のほこらの中で衝動的に結ばれる。2人は年の差を超えて真剣に愛し合うようになるが、同時に村には不思議な出来事が起こり始める。美希を「狗神筋の女」とののしった誠二の母親(淡路恵子)が急死。隆直の妻園子も気が狂い、子供を殺した後自殺。村は深い霧に覆われる。村人たちは狗神のせいだとして坊之宮家に怒りの目を向ける。

原作では兄夫婦に余計者のように扱われる美希の心情も事細かに描かれるが、映画ではあっさりしている。また、天海祐希が役柄(映画でははっきりしないが、原作の設定では41歳)より若く見えてしまうマイナスもある。晃とつき合ううちに若返るという設定は原作にはないが、初めから中年女性には見えないので、その設定があまり生かされていないのである。しかし、そうしたことを差し引いても天海祐希は好演と言って良く、恐らく宝塚退団後初めて満足のいく演技ができたのではないかと思う。女優の魅力を十分に引き出した原田監督の功績は大きい。これは他の出演者にも言えることで、さすがという貫禄の淡路恵子、どこか不気味な藤村志保、憎々しい役柄の山路和弘などいずれもうまい。

惜しいところで傑作にはなり損ねたが、この雰囲気を味わい、出演者たちの演技を楽しむだけでもこの映画に価値はある。藤沢順一の撮影、稲垣尚夫の美術を含め、映像に関してはとても充実している。それだけにクライマックスの詰めの甘さが悔やまれるのである。

【データ】2001年 1時間45分 「狗神」製作委員会 配給:東宝
監督:原田真人 原作:坂東眞砂子「狗神」(角川ホラー文庫) エグゼクティブ・プロデューサー:原正人 プロデューサー:鍋島壽雄 井上文雄 アソシエイト・プロデューサー:山田俊輔 脚本:原田真人 撮影:藤沢順一 美術:稲垣尚夫 音楽:松村崇継 SFXスーパーバイザー:松本肇
出演:天海祐希 渡部篤郎 山路和弘 深浦加奈子 遊人 矢島健一 淡路恵子 藤村志保

[HOME]

回路

「回路」 黒沢清監督にSFを作るつもりはなかったのだろうが、後半の展開は破滅SFそのものである。人通りが絶えた東京で主人公2人が逃走する姿はジョージ・A・ロメロ「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968年)で小屋に立てこもる人々の絶望感を連想させる。いや、相手がゾンビであるなら頭を破壊すれば退治することができたが、この映画の相手は幽霊。押しとどめる力はどこにもなく、絶望感はいっそう濃い。人類を絶滅させるのが幽霊というこのアイデア、極めて独自性に富む。しかも幽霊たちには人類を絶滅させようなどというつもりはさらさらなく、人類に対して明確な攻撃の意図があるわけでもない。しかし人間は幽霊に触れると、死んでしまうのだ。霊界の広さにも限界があったという仮説が紹介されるだけで、幽霊がなぜ人間界に入り込んでくるのか明快な説明はないけれど、ホラーの設定を突き詰めた結果、SFに近い映画に仕上がった。あかずの間の怖さ、幽霊の不気味な動きと姿、銀残しを用いたくすんだ映像、シュールな設定が魅力的だ。

主人公の工藤ミチ(麻生久美子)は観葉植物販売の会社で働く。同僚が1週間も姿を見せないのを不審に思い、アパートを訪ねたところ、目の前で同僚は首つり自殺をする。その不審な死に何か異変が起こっているという予感をミチは抱く。もう一人の主人公川島亮介(加藤晴彦)は大学生。プロバイダにサインアップしてネットにつなぐと、不気味なサイトが現れる。パソコンの電源を切ってもそこに自然につながる不気味さを大学で亮介が話しているのに電子工学科の学生唐沢春江(小雪)が興味を抱く。先輩の大学院生吉崎(武田真治)は霊界の広さが限界に達し、幽霊がこちらの世界に来ようとしているとの仮説を話す。いったん回路が開かれてしまえば、それは動き出す。幽霊たちは猛烈な勢いで人間界を侵食しているらしい。ミチの会社ではあかずの間に入った同僚が恐ろしい幽霊の姿を見て消え、続いて社長も姿を消す。あかずの間は赤いテープで封印された部屋。そこにはいったい何があるのか。やがて人々は次々に姿を消していく。春江も亮介とミチの目の前で自殺。世界の異変は今や目に見える形で進んでいた。

発端はネットにあったにせよ、黒沢清がネットにあまり関心を持っていないのは描写を見ればよく分かる。ネットスリラーというコピーだが、これはネットがなくても成立する話なのである。幽霊界と人間界の回路(あかずの間)が開いたことで、人間界は破滅へと向かう。ミチの目の前で飛び降り自殺する女(ワンカットで飛び降りから地面への激突までを見せる)や煙を吐きながら墜落する飛行機、所々でどす黒い煙を漂わせる東京の描写は秀逸。まるでブレイクダンスのような幽霊のぎくしゃくした動きは恐怖以外の何物でもない。そうした物理的な恐怖に加えて、黒沢清は孤独という恐怖を描く。春江は優秀で美人ありながら、孤独に苦しんでいる。死の世界に旅立った春江はそこで永遠に続く孤独を味わうことになる。人間が次々に消え、残された主人公たちにも仲間がいないことの恐怖(絶望感)が押し寄せるのだ。

霊界の侵食というアイデアはあまりSF的ではないのだが、それでもこれは描写において破滅SFを踏襲している。人間がいなくなっていく恐怖は「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」のほかに「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」(1956年)や「オメガマン」(1971年)「マタンゴ」(1963年)などと共通する味わいがあるのである。脚本に弱い部分が散見されるにせよ、「回路」はこうした恐怖を描いて見応えのある作品と思う。もう少しSFにシフトしていれば、傑作と断言するところだ。

【データ】2001年 1時間58分 「回路」製作委員会 配給:東宝
監督:黒沢清 製作総指揮:徳間康快 製作:山本洋 萩原敏雄 小野清司 高野力 脚本:黒沢清 撮影:林淳一郎 美術:丸尾知行 羽毛田丈史 主題歌:Cocco「羽根 Lay down my arms」 VFXスーパーバイザー:浅野秀二 CGディレクター:立石勝 デジタル・アートディレクター:加藤善久
出演:加藤晴彦 麻生久美子 小雪 有坂来瞳 松尾政寿 武田真治 役所広司 風吹ジュン 菅田俊 水橋研二 塩野谷正幸 一条かおり 高野八誠 高島郷 結城淳 森下能幸 哀川翔

[HOME]

BROTHER

「BROTHER」 日英合作で撮影はハリウッド。銃の迫力は増しているけれど、印象はこれまでの北野武の映画と変わらない。描写の冷たさ、本筋とはあまり関係のない笑いを誘うショット。主人公は声を荒げることはあっても、何を考えているか分からない不気味なヤクザで、アメリカでギャングを相手にのし上がっていく様子が淡々と描かれる。それでも初期の作品より映画としての完成度は上がっている。いや、海外の映画祭で受賞した経験もある監督にこんなことを言うのは不遜だけれど、北野武映画にはどこか未完成なところがつきまとっていた。今回、それがあまりない。北野武の本質はこのパンフレットの写真のように鋭利な冷たさにあると思う。ユーモラスなショットを入れることで、それが隠され、人当たりがよくなった感じを受ける。これは北野武流の韜晦趣味とも言えるのではないか。主人公に設定された性格とユーモアとは本来結びつかないのだが、それによって描写の不快さを回避しているきらいがあるのである。

主人公のヤクザ山本(ビートたけし)は寡黙な男である。組の親分(奥村公延)が殺され、兄弟分(大杉漣)が相手の組に寝返る。日本に居場所をなくした山本は弟ケン(真木蔵人)のいるロサンゼルスへ単身渡る。ケンは黒人らと組んで麻薬の売人をやっていたが、組織の男といざこざを起こし、見かねた山本がその男を殺してしまう。こうなったら、どうしようもない。その組織の幹部連中を皆殺しにし、山本のグループは次第に勢力を広げていく。日本人街を取り仕切っていた白瀬(加藤雅也)の組織も配下に収めるが、やがてマフィアの怒りを買い、山本のグループは一人また一人と殺されていく。

そんなに順調に話が進むわけないと思っていたが、その通りの展開になる。物事への醒めた見方は北野武の映画に一貫しているものである。指を詰めたり、銃で突然撃ち殺したりの過激な暴力描写と、こうした醒めた見方があるため、映画の印象は極めて冷たいものになる。ほとんど内面描写を行わないのもそれに拍車をかけている。描かれるのは主人公の行動のみ。北野武は主人公が心情を打ち明けたり、思い悩む場面など映画には不要と考えているようだ。これはハードボイルドの手法に近い。

テレビの饒舌なたけしとは正反対にその映画の主人公はいつも寡黙だ。北野武の本質はこの寡黙の方にあり、饒舌はそれを隠す手段なのではないかと思う。映画の場合、饒舌の役を担っているのがユーモラスな場面に当たるのだろう。今回、ただ一人生き残るデニー(オマー・エプス)や山本の弟分の加藤(寺島進)、熱血ヤクザの加藤雅也、真木蔵人が、醒めた主人公とは裏腹に血の通った演技を見せており、映画の完成度が上がった印象なのはこうした脇役の演技が良かったからかもしれない。やや出しゃばった場面もある久石譲の音楽も映画に豊かさを提供している。

【データ】2001年 日本=イギリス 2時間4分
監督・脚本・編集:北野武 音楽:久石譲 プロデューサー:森昌行 ジェレミー・トーマス 撮影:柳島克己 美術:磯田典宏 衣装:山本耀司
出演:ビートたけし オマー・エプス 真木蔵人 加藤雅也 寺島進 ロイヤル・ワトキンズ ロンバルト・ボイヤー 大杉漣 石橋凌 ジェームズ・シゲタ タティアナ・M・アリ 渡哲也

[HOME]

サトラレ

Tribute to a Sad Genius

「サトラレ」サトラレとは乖離性意志伝播過剰障害。自分の思念波(意思)を周囲10メートルに発散してしまう能力者である。サトラレはその能力ではなく、IQ180以上の高い知能があることによって国から保護対象とされる。サトラレの住む自治体には国から莫大な補助金が交付される代わりに、サトラレ本人にサトラレであることを気づかせてはならないという条件が付く。自分の意識が周囲に筒抜けになっていると分かったら、サトラレは精神的に耐えられないからだ。このため国の特能保全委員会によって24時間体制の厳重な警護が行われている。原作はコミックらしいが、僕は知らない。「踊る大捜査線 The Movie」の本広克行はこうした突飛な設定のもとで進む話を無理なくまとめており、昨年の「スペーストラベラーズ」の汚名をすすいだ。主人公と祖母との絆の深さをクライマックスに持ってきたことで、SFというよりも普通のドラマとして見応えのあるものになった。そのクライマックスの描写がくどいというのが欠点だけれど、全体として大変気持ちの良い映画である。

症例7号と呼ばれる7人目のサトラレ里見健一(「バトル・ロワイアル」の殺人鬼・安藤政信)が主人公。健一は幼いころ飛行機事故に遭い、両親をはじめ他の乗客全員が死亡する中で、ただ一人生き残る。事故現場で無意識に思念を放射して助けを呼んだことから、サトラレであることが分かり、保護されることになる。岐阜県の奥美濃町で祖母(八千草薫)に育てられた健一は外科医になるが、インフォームド・コンセントが一般的になったとはいっても患者にすべてを話すわけにはいかないとの理由で、なかなか手術をさせてもらえない。周囲からも陰では煙たがられている。その健一のもとへ特能保全委員会から精神科医小松洋子(鈴木京香)が派遣されたことから物語は始まる。国は健一の知能を臨床医ではなく、薬の開発者に向かわせたい思惑があり、洋子の派遣はそれを後押しするためだった。

健一は同じ病院の後輩川上めぐみ(内山理名)に思いを寄せているが、めぐみは秘密が持てないサトラレとの交際を嫌がっている。健一にめぐみへの思いをあきらめさせるために洋子は隣町の祭りに連れて行き、一計を案じる。ところが、町を出たことがなかった健一の保護のために祭り自体を委員会が乗っ取り、過剰な警備が行われることになる。めぐみに恋人がいると思わせられた健一はあきらめるが、心配して自宅を訪れた洋子に「なんていい人なんだ」と恋心を抱くようになってしまう。前半のこうしたスラップスティック調の場面が従来の本広克行の映画なのだが、今回は泣きの部分に重点を置いている。「あの子は嘘のつけない声が大きいだけの子供なんですよ」と話す健一の祖母を演じる八千草薫がいい。回想ショットで描かれる子供時代の健一と祖母の交流やクライマックスの手術に至るシーンに泣かされる。細部の描写が冴えている。

サトラレは高い知能を備えた障害者と言える。その意味で映画がノーマライゼーションのテーマを帯びてくるのも当然だろう。ラストで洋子が「サトラレがサトラレとして生きていける社会が望ましい」との結論に至るのはもっともなことなのである。鈴木京香は単なる美女ではなく、主人公より年上の設定を逆手にとったコミカルな演技を見せる。安藤政信も純真な主人公に透明感を持たせた演技でリアリティを出している。「踊る大捜査線」の小野武彦はまたしてもおかしいし、警備役の小木茂光、病院の食堂のおやじ高松英郎、看護婦の深浦加奈子らいずれも好演で、この映画、出演者に恵まれた。

【データ】2001年 サトラレ対策委員会 2時間10分 配給:東宝 
監督:本広克行 製作総指揮:萩原敏雄 原作:佐藤マコト 脚本:戸田山雅司 音楽:渡辺俊幸 撮影:藤石修 美術:部谷京子
出演:安藤政信 鈴木京香 内山理名 松重豊 小野武彦 寺尾聡 八千草薫 小木茂光 深浦加奈子 半海一晃 田中要次 川端竜太 高松英郎 藤木悠 武野功雄

[HOME]