戦場のピアニスト

The Pianist

「戦場のピアニスト」パンフレット もちろん、ダビデの星の腕章を着けさせられる差別からゲットー移住、収容所送りへと続くユダヤ人迫害の場面はテレビや映画や書籍で何度も見た(読んだ)ものではあるのだが、それでもやはり胸を締め付けられるような思いがする。気まぐれに簡単にユダヤ人を撃ち殺すドイツ兵の描写には「シンドラーのリスト」の時と同じように心が冷えてくる。飢えと恐怖と絶望に苦しめられ、人間の本性がむき出しにされるゲットーの生活をロマン・ポランスキー監督は1人のピアニストの視点から冷徹に描き出す。前半はこういう粛然とせざるを得ないような描写が続く。

映画は後半、収容所行きの列車から危うく難を逃れた主人公がさまざまな人たちの力を借りて生きのびていく姿を描く。隠れ家を転々とし、物音も立てずにひっそりと生きる主人公の姿は、戦争が終わったことも知らずにジャングルの中で暮らし続けた日本兵を思わせる。主人公は飢えに苦しみ、病気で死にそうになりながらも生き抜いて終戦を迎えることになる。

この後半も優れた描写ではあるのだが、主人公が生きるか死ぬかだけに話が絞られてくるので物足りない思いも残る。実話だから仕方がないし、過酷な生活を送った主人公の生き方にケチを付けるつもりも毛頭ないが、この主人公からは絶対に生き抜くという信念は感じられない。レジスタンスに参加するわけでもないし、状況を少しでも変えようと努力するわけでもない。逃げ隠れ、友人に食料を運んでもらって、単に運が良くて生きのびたように見えてしまう。収容所で殺され、レジスタンスで倒れた多数の人々に比べれば、主人公は生き抜いただけでも恵まれていた。話をこうした受動的で運の良い男に収斂させてしまうと、映画としてはちょっと弱いと思う。ユダヤ人迫害を十分に描いているじゃないか、と言われれば、確かにその通りだが、そういう映画はほかにもたくさんあるのだ。良い映画であることを否定はしないけれど、物語を締め括る視点にもう一つ独自のものが欲しかったと思う。原作は終戦直後に出されているから大きな意味があったが、ただ単に戦争を部分的に目撃した男の話では、今となっては遅れてきた作品になってしまうのである。戦争の記憶は風化していくものだから、こういう映画を今作ることに意味がないとは思わない。しかし、先例がある映画を超えるにはプラスアルファが必要だと思う。

両親がポーランド出身で、ゲットーでの生活も体験したロマン・ポランスキーは「シンドラーのリスト」の監督を要請されたそうだ。それを蹴ったのは自分に近すぎる題材だったためという。この映画の後半を主人公の生きのびる姿に絞ったのはポランスキーにとって、まだあの狂気の時代が重くのしかかっているからなのかもしれない。

終盤、廃屋の屋根裏部屋に隠れ住んだ主人公は食料を捜しているうちにドイツ人将校に見つかる。意外なことに将校は主人公を生かし、食料を分け与えるようになる。パンフレットによると、このドイツ人将校はほかにもユダヤ人を助けたことがあり、助けられたユダヤ人によって名前が分かったそうだ。ヒトラー直属の親衛隊とは違って、自分の視点で戦争の現実を見ることができる人だったのだろう。映画では主人公にピアノを弾かせる場面があることで、この将校が主人公を殺さなかったのはピアニストだったからのように見えてしまう。人命を助ける行為は尊いが、誰を助け、誰を見殺しにするかの選別の意識は基本的にユダヤ人差別の意識から遠いところにはない。

2002年カンヌ映画祭でパルムドール受賞。アカデミー賞にもノミネートされている。脚本はチェコのレジスタンスの若者たちを描いた鮮烈な傑作「暁の7人」(1976年、原題はOperation Daybreak)のロナルド・ハーウッド。常に哀しい目をした主演のエイドリアン・ブロディはヒゲを延ばした後半、キリストのように見えた。

【データ】2002年 ポーランド=フランス 2時間28分 配給:アミューズピクチャーズ
監督:ロマン・ポランスキー 製作:ロマン・ポランスキー ロベール・ベンムッサ アラン・サルド 原作:ウワディスワフ・シュピルマン 脚本:ロナルド・ハーウッド 音楽:ヴォイチェフ・キラール プロダクション・デザイン:アラン・スタルスキ 衣装デザイン:アンナ・シェパード 撮影:パヴェル・エデルマン 美術:ニーナ・ペクール
出演:エイドリアン・ブロディ トーマス・クレッチマン フランク・フィンレイ エミリア・フォックス エド・ストッパード ジュリ・レイナー ジェシカ・ケイト・マイヤー ルース・プラット ミハウ・ジェブロフスキ ワーニャ・ミュエス

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ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔

The Lord of The Rings : The Two Towers

「ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔」パンフレット2時間59分。アクションに次ぐアクションで密度が濃く、見終わった後、頭がクラクラした。前作の後半を占めた怒濤のアクションが今回は最初から最後まで途切れることがない。そのアクション場面を背負っているのがアラゴルン(ヴィゴ・モーテンセン)で、前作よりも格好良く、ほとんど主人公の風格。エオウィン(ミランダ・オットー)とのほのかなロマンス描写もいい。アラゴルンと同行するレゴラス(オーランド・ブルーム)のほれぼれするような弓の放ち方と、ギムリ(ジョン=リス・デイヴィス)のユーモアも楽しい。本来の主人公であるフロド(イライジャ・ウッド)とサム(ショーン・アスティン)のコンビの旅は波乱に富んでおり、指輪の前の持ち主であるゴラムのスメアゴルが加わって、ぐっと深みを増した。善と悪に揺れ動くスメアゴルは今回の大きなポイントだ。クライマックスの怪物1万対人間300の壮絶な戦いは延々と続き、圧倒的に迫力がある。CGと分かっていても、このスケールの大きさは感動的である。

ピーター・ジャクソンの演出に狂いがないと思うのはラストをフロドとサムの力強いセリフで締め括っているところ。指輪の邪悪な力に圧倒されて弱気になったフロドに対して、サムは「物語の主人公は決して後には引かない」と話すのだ。この脱映画的とも思える場面はジャクソンの「指輪物語」を映画化することへの決意をも表しているのに違いない。ジャクソンの演出は決して細かい部分でうまいわけではなく、もう少しドラマティックに盛り上げてほしい不満もあるのだが、原作への愛と情熱とパワーで押し切った感じがする。「スター・ウォーズ」シリーズよりも物語の背景に深みがあるし、演出が正攻法である。よくぞここまで立派な映画を作ったなと、前回と同じような感想を持たされる。

前作で火の鞭を振るう怪物バルログとともに奈落に落ちたガンダルフ(イアン・マッケラン)のその後を描く冒頭から画面に力がこもっている。物語の時間軸は前作からそのままつながっており、これぞ正しい続編という感じがする。9人の旅の仲間は3つに分かれて、冥王サウロンのいるモルドールへの旅を続ける。道に迷ったフロドとサムは指輪を盗もうと接近してきたゴラムにモルドールへの道案内を頼む。空飛ぶ獣に乗る黒い騎士ナズグルの強襲を避けながらの困難な道のりだ。一方、アラゴルンとレゴラス、ギムリはオークたちにさらわれたメリーとピピンを追って荒野を行くうちに人間の国ローハンの一団に出会う。サウロンと組んだ悪の魔法使いサルマン(クリストファー・リー)はローハンに兵を送ろうとしていた。アラゴルンたちは復活したガンダルフとともにローハンの王セオデン(バーナード・リー)を助け、峡谷にある石の要塞・角笛城で押し寄せる怪物軍団を迎え撃つことになる。

今回の中心はこの角笛城の攻防戦で1時間近く続く。1万対300、しかも300のほとんどは子どもと老人。絶望的な戦いをジャクソンは執拗にダイナミックに描く。これが動のパートであるのに対して、フロドの一行はいわば精神面での善と悪の戦いと言える。逃げ回るハン・ソロと、ダークサイドに引き込まれそうになりながらフォースの修業に励むルークを交互に描いた「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」を思い起こさせる構成だ。映画の魅力を補強しているのはニュージーランドの素晴らしい風景で、これまた前作よりも効果的に使われている。戦いを描く物語の常で好戦的な描写も散見され、それゆえにこの物語から現実を照射するのは簡単なのだが、これはあくまでも人間対怪物の戦いであり、アメリカ対テロリストのような狭い了見での解釈はしたくない。ジャクソンは少なくとも「指輪物語」を満足のいく出来栄えに完成させることしか頭にはないはずだ。優れた物語は完成した途端にいろいろな輝きを持ち始めるものだ。完結編「王の帰還」が公開される来年を首を長くして待ちたい。

【データ】2002年 アメリカ 2時間59分 配給:日本ヘラルド映画 松竹
監督:ピーター・ジャクソン 製作総指揮:マーク・オーデスキー ボブ・ワインスタイン ハーヴェイ・ワインスタイン ロバート・シェイ マイケル・リン 製作:バリー・M・オズボーン フランク・ウォルシュ ピーター・ジャクソン 原作:J・R・R・トールキン 脚本:フラン・ウォルシュ フィリッパ・ボウエン スティーブン・シンクレア ピーター・ジャクソン 撮影:アンドリュー・レスニー 美術:グラント・メイジャー 衣装:ナイラ・ディクソン リチャード・テイラー 音楽:ハワード・ショア
出演:イライジャ・ウッド イアン・マッケラン リヴ・タイラー ヴィゴ・モーテンセン ショーン・アスティン ケイト・ブランシェット ジョン=リス・デイヴィス バーナード・ヒル クリストファー・リー ビリー・ボイド ドミニク・モナハン オーランド・ブルーム ヒューゴ・ウィービング ミランダ・オットー デヴィッド・ウェンハム ブラッド・ドゥーリフ アンディ・サーキス カール・アーバン クレイグ・パーカー

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ビロウ

Below

「ビロウ」パンフレット潜水艦を舞台にしたホラー、と思ったら、終盤の謎解きは真っ当だった。ミステリ的な展開を予想していなかったので、この真相は面白かった。なるほど、そういうことか。それなら仕方ないよな、という感じである。潜水艦の中で起こる奇怪な出来事(一瞬見える人影や暗闇から聞こえてくる声、壊れた舵)が本当に幽霊の仕業かどうかをあいまいに終わらせるのはこの展開では仕方ないのだが、これによって中盤が少し緩む。話としては十分に完結しているのだから、中盤にもう一工夫欲しいところだった。スターは出ていず、B級感覚の映画で、それなりの出来に仕上がっている。

第2次大戦中、アメリカの潜水艦が3人の漂流者を救助する。3人は病院船に乗っていたが、Uボートの魚雷で船が沈没して漂流していたのだった。3人のうちの1人は女。女性を潜水艦に乗せるのは不吉と言われており、乗組員たちに「悪いことが起きるのでは」と動揺が走る。その予感通り、敵艦の下を潜航中、突然、ベニー・グッドマンのレコードがかかる。敵艦が落とした爆雷で潜水艦のあちこちがきしみ始める場面は潜水艦ものではおなじみの描写だ。誰がレコードをかけたのか。3人のうちの1人がドイツ兵と知った艦長代行のブライス大尉(ブルース・グリーンウッド)はそのドイツ兵を撃ち殺す。それから艦内では不思議なことが起こり始める。

潜水艦自体にも秘密があり、なぜ艦長が死に艦長代行が指揮を取っているのかが話のポイントになってくる。潜水艦の中で幽霊が人を殺しまくるような安易なホラーにしなかった見識は買うが、因縁話の域を出ていないので話の展開に新鮮さがなくなったのは残念。救助された女性を演じるのは「シックス・センス」でブルース・ウィリスの妻を演じたオリビア・ウィリアムス。主人公の少尉はマシュー・デイビス。監督は「ピッチブラック」(2000年、続編が計画されている)のデヴィッド・トゥーヒー。この人はC・L・ムーアの時間テーマSF「ヴィンテージ・シーズン」を映画化した「グランド・ツアー」(1992年)も監督しており、SF的な話の方が得意なのではないかと思う。脚本と製作者の1人にダーレン・アロノフスキーが名を連ねている。

【データ】2002年 アメリカ 1時間45分 配給:ギャガ=ヒューマックス
監督:デヴィッド・トゥーヒー 製作:スー・ベイドン=パウエル ダーレン・アロノフスキー エリック・ワトソン 製作総指揮:ボブ・ウェインスタイン ハーヴェイ・ウェインスタイン アンドリュー・ローナ 脚本:ルーカス・サスマン ダーレン・アロノフスキー デヴィッド・トゥーヒー 撮影:イアン・ウィルソン 美術:チャールズ・リー 音楽:グレーム・レヴェル 視覚効果監修:ピーター・チャン 衣装:エリザベス・ウォラー
出演:マシュー・デイヴィス ブルース・グリーンウッド オリビア・ウィリアムス ホルト・マッキャラニー スコット・フォーリー ザック・ガリフィアナキス ジェイソン・フレミング ジョナサン・ハートマン デクスター・フレッチャー ニック・チンランド

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猟奇的な彼女

My Sassy Girl

「猟奇的な彼女」パンフレット「努力した人には運命が偶然という橋を架けてくれる」。こんなメッセージが最後に2度繰り返されるのは韓国映画らしいところか。2001年に観客500万人を動員したラブストーリー。というよりはハッピーで軽いラブコメで、クスクス笑いながら見た。気のいい男が男まさりの女に振り回されるという設定は弓月光やあだち充など日本のラブコメ漫画の影響があるのではないか、と思いたくなる(キム・ホシクの原作はインターネットで発表された手記という)。ボケとツッコミのどつき漫才のような男女関係なのである。韓国の若者の風俗は日本とほとんど変わらず、その意味でも受け入れられやすい作品だろう。脚本や演出は手の内が見えて、それほど優れたものではないと思うが、主演2人の魅力(特に溌剌とした チョン・ジヒョン=若い頃の工藤夕貴に似ている)が映画を元気のよいものにしている。この2人が観客と等身大の存在であることもヒットの大きな理由と思う。

大学生のキョヌ(チャ・テヒョン)はある晩、地下鉄の駅で酔っぱらって線路に落ちそうになった美女を助ける。酔っぱらっていなければ、好みのタイプだったが、電車に乗せると、その美女は座っている男にゲロを吐きかけてしまう。女がキョヌに向かって「ダーリン」と言ったために、キョヌは介抱するために女をおぶってホテルに連れて行く羽目になる。ゲロと汗を落とそうと、シャワーを浴びたところで警官が突入、キョヌは留置場に入れられる。という最低のシチュエーションのボーイ・ミーツ・ガールで2人は知り合い、おかしな交流を続けていく。

映画は前半戦、後半戦、延長戦の3部構成。延長戦での別れの一本杉みたいな描写にはウーンと思ってしまう(単なるすれ違いのメロドラマ的シチュエーションで新鮮みは何もない)のだが、脚本化にあたって付け加えたこの部分を気に入る人も多いのだろう。大衆的なものは強いのである。猟奇的な彼女(ついに名前は出てこなかった)の死んだ恋人への決別の思いをクライマックスに置いたことで、映画には深みが生まれた。パンフレットによると、脚本・監督のクァク・ジェヨンは89年に監督デビューし、これが8年ぶりの4作目。偶然を積極的に肯定し、ハッピーエンドを強く希求する姿勢はエンタテインメントには欠かせないものだと思う。

【データ】2001年 韓国 2時間2分 配給:アミューズピクチャーズ
監督:クァク・ジェヨン プロデューザー:パク・クォンソプ シン・チョル アソシエイト・プロデューサー:チェ・スヨン ソ・ユンヒ 原作:キム・ホシク 脚本:クァク・ジェヨン 音楽:キム・ヒョンソク 撮影:キム・ソンボク 美術:ソン・ユンヒ
出演:チョン・ジヒョン チャ・テヒョン キム・インムン ソン・オクスク ヤン・グムソク ハン・ジンヒ ヒョン・スキ キム・イル イム・ホ

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