最後の恋のはじめ方

Hitch

「最後の恋のはじめ方」パンフレットニューヨークを舞台にウィル・スミスがデート・コンサルタントを演じるロマンティック・コメディ。冗長と思える部分もあるが、ノリのいい音楽とともに2つの恋模様を軽くユーモラスに描いて、まず退屈しない映画になった。ウィル・スミスはアクが強くないので、こういうサポートの役柄も似合っており、「アイ,ロボット」に続いて絶好調という感じがある。ダンスを教える場面やホタテ貝アレルギーで顔が腫れるシーンには爆笑した。監督は「アンナと王様」「メラニーは行く!」のアンディ・テナント。この監督の作品、そんなに見ていないが、この映画は出来のいい方の部類に入るのではないか。スミスの相手役エヴァ・メンデスも色っぽくて良い。

スミスが演じるデート・コンサルタントのヒッチはもてない男のサポートが仕事。セックスだけが目的の依頼は断るという主義を持っている。依頼してきたアルバート(ケヴィン・ジェームス)は太ってドジでさえない男。恋しているのはマスコミも注目する財団の令嬢アレグラ(アンバー・バレッタ)で、まるで釣り合いが取れそうにない。「まず彼女の注意を惹くこと」というアドバイスを受けたアルバートは会議でアレグラに同調し、なんとか2人で会う約束を取り付ける。ヒッチ自身もバーで男から言い寄られている新聞記者のサラ(エヴァ・メンデス)と出会い、恋に発展していく。しかし、ヒッチがデート・コンサルタントと知ったサラは卑劣な職業と誤解し、けんか別れしてしまう。

他愛ない話といえばそうなのだが、脚本は恋に関する教訓をいろいろ入れていて面白い。「人間の意思伝達の60%は言葉でなくボディ・ランゲージ。30%は声の調子。つまり90%の“会話”は言葉じゃない」という指摘には納得。脚本を書いたケヴィン・ビッシュはこれがデビュー作で、次作もコメディらしい。アルバート役のケヴィン・ジェームスはテレビ中心のコメディアンで、映画での大役はこれが初めてとのこと。笑いの取り方も下品ではないし、観客を引きつけるエピソードになったのはジェームスのキャラクターが大きいと思う。アンディ・テナントの演出にはこれといって優れた部分も見あたらず、こうした材料を交通整理しただけのように思える。ただ、気持ちのよい終わり方を含めて全体的に好感の持てる作品に仕上げた腕は認めるべきか。

ヒッチがアルバートにダンスを指導する場面の音楽(アッシャーの「Yeah!」)が良かったが、サントラには収録されていなかった。エンドクレジット前にあるおまけのダンスシーンが楽しく、もっと見たい気にさせる。ウィル・スミスもエヴァ・メンデスもダンスがうまい。

【データ】2005年 アメリカ 1時間58分 配給:ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント
監督:アンディ・テナント 製作:ジェームズ・ラシター ウィル・スミス テディ・ジー 製作総指揮:マイケル・ダドロス 脚本:ケヴィン・ビッシュ 撮影:アンドリュー・ダン 美術:ジェーン・マスキー 衣装デザイン:マーリーン・スチュワート 音楽:ジョージ・フェントン
出演:ウィル・スミス エヴァ・メンデス ケヴィン・ジェームス アンバー・ヴァレッタ マイケル・ラパポート アダム・アーキン ジュリー・アン・エメリー ケヴィン・サスマン

[UP]

フォーガットン

Forgotten

「フォーガットン」パンフレットひとり息子を亡くした母親の周囲から息子の存在の痕跡が次々に消えていくというサスペンス。夫が息子のことを忘れ、写真からも息子の姿が消える。飛行機事故を報じた新聞記事もなくなる。設定は魅力的なのだが、その理由が分かった段階で映画はガタガタと壊れていく。謎の中身をもっと描くべきところなのに、こんなもんでいいだろう的中途半端な解決に終わらせている。予算がなかったか、考える力がなかったかのどちらかだろう。脚本は「シャーキーズ・マシーン」や「メッセージ・イン・ア・ボトル」のジェラルド・ディペゴ。ディペゴの見た悪夢が映画の元になったのだとか。凡才の脚本家が考えると、凡作にしかならない。

テリー(ジュリアン・ムーア)の息子サムは14カ月前の飛行機事故で行方不明となった。それ以来、テリーは精神的に不安定になり、精神科医マンス(ゲイリー・シニーズ)のもとへ通っている。ある日、家族3人で映った写真から息子の姿が消える。夫のジム(アンソニー・エドワーズ)の仕業と逆上したテリーは公園で同じ飛行機事故で娘をなくしたアッシュ(ドミニク・ウェスト)と出会う。アッシュはテリーのことをまったく覚えていず、「自分に娘はいない」と答える。次に息子のアルバムが消え、息子を映したはずのビデオも中身が消えていることが分かる。しかし、ジムは元々何も映っていなかったと告げる。すべてはテリーの妄想なのか。アッシュの家に押しかけたテリーは壁紙の下にアッシュの娘がかいた絵があるのを見つける。娘の記憶を取り戻したアッシュのもとに国家安全保障局の男たちが訪れ、アッシュを連れ去ろうとする。辛くも逃げたアッシュとともにテリーはことの真相を追求していくことになる。

この後、驚くべき真相が明らかになる。と、言いたいところだが、難なく予想はつくレベルの真相である。そしてそれ以上のものはなく、描写の方も極めて中途半端なままに終わる。観客が見たいものを見せてくれないのである。テリーの事件自体は解決するが、全体の解決には何もなっていないのが、ダメなところである。母親だけが息子の記憶をなくさないことについて、監督のジョセフ・ルーベンは母親と子供の絆の深さを象徴させたかったのだという。主人公を特殊な存在にすれば、SF的に発展させていくことはいくらでも可能なのだが、そういう頭はなかったのだろう。ジュリアン・ムーアとゲイリー・シニーズが出ているのでそれなりの体裁はあるが、壊れた映画を救うには至らなかった。

【データ】2004年 アメリカ 1時間32分 配給:UIP映画
監督:ジョセフ・ルーベン 製作総指揮:スティーブ・ニコラス トッド・ゲイナー 製作:ブルース・コーエン ダン・ジンクス ジョー・ロス 脚本:ジェラルド・ディペゴ 撮影:アナスタス・ミコス 音楽:ジェームズ・ホーナー 美術:ビル・グルーム 衣装:シンディ・エヴァンス
出演:ジュリアン・ムーア ドミニク・ウェスト ゲイリー・シニーズ アルフレ・ウッダード ライナス・ローチ ロバート・ウィズダム ジェシカ・ヘクト

[UP]

バットマン ビギンズ

Batman Begins

「バットマン ビギンズ」パンフレット個人的に興味があったのはティム・バートンが第2作「バットマン リターンズ」(1992年)で提起した問題を今回はどう描いているかということだった。すなわち、バットマンはなぜあんな格好をしているのかということ。ここが合理的に説明されなければ、どんな重厚なドラマも嘘くさくなってしまう。監督・脚本のクリストファー・ノーラン(「メメント」「インソムニア」)はちゃんとそこを分かっていて、恐怖に絡めて説明している。バットマンのコスチュームは悪人たちへの恐怖のシンボルなのである。主人公のブルース・ウェインは子供の頃、井戸に落ち、コウモリの大群に襲われた。それが恐怖のトラウマとなっており、前半はその恐怖の克服の過程を詳細に描く。正義の味方のコスチュームに自分の恐怖をイメージしたものを選ぶのは、理にかなっている。これに加えてノーランは両親を強盗に殺されたウェインの自責の念と復讐意識を描いていく。ヒマラヤでの苦悩の末に「正義は調和をもたらす。復讐は自己満足だけ」という結論に達したウェインが理想主義者だった父の死後、賄賂が横行して役人も警察も腐りきったゴッサム・シティの立て直しに動くことにも説得力があるのである。

前半の重厚なドラマがアクション中心の後半に生きてくる。あるいは後半のバットマンの活躍を生かすためにウェインのキャラクターを描き込んだのが今回の「バットマン ビギンズ」と言える。これは十分成功していると思うものの、やはり1時間ほどある前半は少し長すぎるのではないかと感じる。後半に至って、バットマンの秘密兵器やコスチュームがウェインの会社の閑職(応用科学部)にいるフォックス(モーガン・フリーマン)によって既に開発されていたというのも、ややご都合主義的な感じがする。前半のドラマからお約束のバットマン・ワールドへ至る描写にもう一工夫欲しかったところだ。ノーランの演出は真っ当でドラマの組み立ても悪くないけれど、タイトな傑作になり損ねた正直な力作というのが率直な感想である。

ドラマの作りは凝っている。世界放浪の旅に出たウェインがブータンの刑務所にいるところにヘンリー・デュカード(リーアム・ニーソン)が訪れ、ウェインはヒマラヤで修行を積むことになる。デュカードのボスで渡辺謙演じるラーズ・アル・グールが率いる集団は過去に腐った都市を壊滅させてきた組織である。ウェインはここで鍛えられて強くなるが、悪人の処刑を命じられて拒否し、組織のアジトを破壊する。ゴッサム・シティに7年ぶりに帰ってみると、そこは父親(ライナス・ローチ)がいたころとは異なり、マフィアのファルコーネ(トム・ウィルキンソン)が牛耳って、貧困がはびこる街になっていた。ウェインの幼なじみで正義感に燃える検事レイチェル・ドーズ(ケイティ・ホームズ)はファルコーネを逮捕したいと思っているが、上層部も警察もファルコーネの言いなりで手も足も出ない。ウェインは腐った街の浄化のためにバットマンとなる準備を進める。

これが大まかな設定だが、敵役が単なるマフィアでは小さいなと思っていたら、精神科医のジョナサン・クレイン(キリアン・マーフィー)が登場し、さらに大がかりな悪の組織があることが分かる。このクレインの印象が強い。映画はラストでバートンの第1作へのつながりを示すエピソードを入れているが、この映画の続編を作るなら、キリアン・マーフィーを敵役(スケアクロウ)として登場させた方が面白いのではないかと思う。

主人公ブルース・ウェインを演じるのは「アメリカン・サイコ」「リベリオン」などのクリスチャン・ベール。渡辺謙、リーアム・ニーソンに加えて、執事のアルフレッドにマイケル・ケイン、ゴッサム・シティで唯一のまともな警官ジム・ゴードンにゲイリー・オールドマン、ウェインの会社の副社長にルトガー・ハウアーと渋いキャストがそろった。ベールの暗い顔つきはトラウマを持つウェイン役に違和感がないが、主役を張るのに十分な派手さもない。こうした脇の役者たちがそれを補っている。

【データ】2005年 アメリカ 2時間20分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:クリストファー・ノーラン 製作:チャールズ・ローブン エマ・トーマス ラリー・フランコ 原案:デヴィッド・S・ゴイヤー 脚本:クリストファー・ノーラン デヴィッド・S・ゴイヤー 撮影:ウォーリー・フィスター 美術:ネイサン・クローリー 音楽:ハンス・ジマー ジェームズ・ニュートン・ハワード 衣装:リンディ・ヘミング
出演:クリスチャン・ベール マイケル・ケイン リーアム・ニーソン ケイティ・ホームズ ゲイリー・オールドマン キリアン・マーフィー トム・ウィルキンソン ルトガー・ハウアー 渡辺謙 モーガン・フリーマン

[UP]

宇宙戦争

War of The Worlds

「宇宙戦争」パンフレット情け容赦なく絶望的。1時間57分の映画で、最後の10分ほどを除けば、映画は絶望的な状況が支配する。圧倒的な科学力を持った宇宙人に対して地球人は手も足も出ず、虫けらのように駆除されていくだけ。これは怖い。1953年のジョージ・パル製作「宇宙戦争」(バイロン・ハスキン監督)の火星人より怖いのは宇宙人たちの乗るトライポッドが地球人の血を吸う描写があるからだ。スティーブン・スピルバーグは圧倒的な描写で、H・G・ウェルズの古典SFを描ききった。これは描写の凄さだけで成立した映画であり、スペクタクルな都市の破壊とゆっくりと動く巨大なトライポッドによる蹂躙は一見に値するだろう。その意味で「ジュラシック・パーク」と同じ意味合いを持つ映画だと思う。問題はあまりにも原作に忠実な映画化であること。いくらなんでも有名すぎるラストは少し変えるだろうと思っていたら、原作と同じだった。もちろん、原作はこのラストがあるから傑作なのだが、19世紀文学の思想をそのまま映画化するのは工夫がないとも言える。少しは違うラストを考える気はなかったのか。

それよりも気になるのはスピルバーグがなぜこの映画を撮ろうと思ったかということ。「未知との遭遇」や「E.T.」で友好的な宇宙人を描いたスピルバーグがなぜ凶悪なだけの宇宙人を描いたのか。スピルバーグはパンフレットのインタビューでこう語っている。

「21世紀に入った今、僕らは世の中で起こっている多くのことに、それ以前よりも強い恐怖を抱いている。もちろん、宇宙からの侵略なんてことはないにしても、他国からの侵略はあるかもしれない。観客はそういう現実の恐怖を映画と重ね合わせられるので、より深いレベルで映画に共感できると思う」

ジョージ・パル版「宇宙戦争」やドン・シーゲル「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」など50年代SF映画の背景に共産主義の台頭とその恐怖があったのは周知の事実だが、アメリカにとって今の状況は50年代以上に危機的なものなのだろう。ご丁寧なことにモーガン・フリーマンのナレーションやジョン・ウィリアムスの音楽はいずれも50年代風である。映画に流れるのは理解不能の敵に対する恐怖であり、ここでは相互理解の精神なんて微塵もない。アメリカにとって宇宙人とテロは同じことなのだろう。「ボウリング・フォー・コロンバイン」でマイケル・ムーアが分析したアメリカ人の恐怖がそのままこの映画には流れている。なんと分かりやすい思考回路かと思う。要するにスピルバーグは単純なのである。

スピルバーグが持つ一流の見せる技術がこんな風にしか使われないのは本当に惜しい。VFXの技術や演出がいかに革新的であっても、単純で古くさい思想に基づく映画は傑作にはならない。スピルバーグがこの映画で描いたのは、ムーアの主張を借りれば、外部に対して恐怖を抱くよう仕向けるアメリカ政府の手先みたいなことである。恐らく、スピルバーグ、そのことを自覚してはいないだろう。

あとは気づいたことをいくつか。トライポッドが出す「ボワーッ」という音は「未知との遭遇」のクライマックスに出てきた5音階に似ている。トム・クルーズとダコタ・ファニングがトライポッドに捕らえられ檻に入れられるシーンは「A.I.」のロボット狩りのシーンを思い起こさせた。何万年も前から地球侵略を狙って地下にトライポッドを埋めるぐらいなら、地球環境が自分たちに有害かどうかぐらい分かっていたはず。これではいかに科学力が発達していようと、宇宙人は間抜けに見えてしまう。ジョージ・パル版と違って、宇宙人に対して核兵器を使ってみなかったのはいくらなんでもそれでは無神経と思われるからだろう。小学生のころ、原作を読んで火星人を退治したのは地球の細菌だったというラストにセンス・オブ・ワンダーを感じたものだが、この映画ではカミカゼが吹いて宇宙人をやっつけたぐらいの描写にしか見えない。思想的にはそういうレベルの映画なのである。

【データ】2005年 アメリカ 1時間57分 配給:UIP映画
監督:スティーヴン・スピルバーグ 製作:キャスリーン・ケネディ コリン・ウィルソン 原作:H・G・ウェルズ 脚本:ジョシュ・フリードマン デヴィッド・コープ 撮影:ヤヌス・カミンスキー プロダクション・デザイン:リック・カーター 衣装:ジョアンナ・ジョンストン 音楽:ジョン・ウィリアムス シニア視覚効果スーパーバイザー:デニス・ミューレン
出演:トム・クルーズ ダコタ・ファニング ティム・ロビンス ミランダ・オットー ジャスティン・チャットウィン

[UP]