逆境ナイン

「逆境ナイン」パンフレット公式戦で勝ったことがない弱小野球部が廃部を免れるために甲子園出場を目指す熱血コメディ。島本和彦原作のコミックを「海猿」の羽住英一郎が監督した。落ちこぼれ集団が奮起するという「少林サッカー」パターンの映画で、逆境に次ぐ逆境をはねのけていく主人公・不屈闘志の姿がおかしい。惜しいのは「少林サッカー」ほど笑いが弾けていかないこと。笑いのパターンがやや画一化していて、一発ギャグみたいな笑いが多いのだ。「自業自得」や「それはそれ これはこれ」などの巨大石板(モノリス)が登場する不条理なシーンのおかしさは最初はいいのだが、こうしたギャグのパターンはだんだん新鮮さがなくなる。VFXの方も今ひとつな出来である。ただ、主演の玉山鉄二(「天国の本屋 恋火」」)の熱血・勘違いキャラクターには大いに好感度があり、映画を憎めないものにしている。クライマックス、9回裏112対0からの逆転劇などにもう少しアイデアを詰め込み、ドラマティックな展開を入れ、主人公以外のキャラクターも描き込んでくれれば、もっと面白くなったと思う。

全力学園の野球部キャプテン不屈闘志(玉山鉄二)は校長(藤岡弘、)から突然、廃部を言い渡される。全国レベルの力を持つサッカー部と違って野球部は連戦連敗。「全力でないものは死すべし!」という考えの校長はグラウンドをサッカー部に明け渡すよう命じる。不屈は春のセンバツ優勝校日の出商業に練習試合で勝つことを条件に廃部を免れるが、ナインには次々に逆境が訪れる。赤点を取って試合当日に追試があったり、チワワに噛まれて出場不能になったり、試合の日にバイトが入ったり。不屈自身も利き腕の右腕を骨折してしまう。幸いなことに試合当日が雨だったため、日の出商業は試合を中止して、全力学園の不戦勝となるが、校長はこれを認めない。不屈は甲子園出場を校長に約束。監督にセパタクロー以外知らない榊原剛(田中直樹)が就任し、甲子園への県予選を戦うことになる。

こういう話は大好きなのだが、羽住英一郎、まだまだ甘いなと思う。こういうリアリティゼロの話にどう説得力を持たせるかが問題なのである。決勝戦にコールドゲームはないので112対0というシチュエーションも可能性ゼロではないが、そこからの逆転劇の在り方はありえない。この映画での人を食った展開には唖然とするが、ありえないシチュエーションなので主人公の頑張りが感動に高まっていかないのがもどかしい。原作ではこのシチュエーションに入る前に気力を振り絞ったナインの最後の頑張りがあり、それなりに納得させられる。映画ならではの逆転劇を考えても良かったのではないか。

対戦校の名前が中々学園とか手抜学園とか聞くだけでおかしくなるけれど、その他の展開も含めてバカバカしさだけで1時間55分持たせるのはつらいものがある。バカバカしいギャグを入れつつ物語の骨格を一応まともなものにしていくと、こういう映画は最強になると思う。バカバカしさを愛してはいても、それだけでは映画としては物足りないものなのである。藤岡弘、の素のキャラクターのままの校長先生は悪くないが、この校長にももっとドラマの見せ場が欲しいところ。田中直樹の使い方とか、ナインの一員を演じる坂本真の使い方にしても「フライ,ダディ,フライ」と比べてみれば、おかしさがもっと弾けていいのではないかと思える。演出の善し悪しというのはそういう部分に出てくるものなのだろう。マネジャー役の堀北真希はかわいかった。

【データ】2005年 1時間55分 配給:アスミック・エース
監督:羽住英一郎 製作:平井文宏 阿部秀司 プロデュース:奥田誠治 堀部徹 プロデューサー:山際新平 門屋大輔 アソシエイト・プロデューサー:小出真佐樹 沢辺伸政 原作:島本和彦 脚本:福田雄一 音楽:佐藤直紀 撮影:村埜茂樹 美術:北谷岳之 装飾:佐々木敬
出演:玉山鉄二 堀北真希 藤岡弘、 田中直樹 柴田将士 青木崇高 出口哲也 土倉有貴 寺内優作 堺沢隆史 坂本真 栩原楽人 小倉久寛 古田新太 炎尾燃 内海佳子

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姑獲鳥の夏

「姑獲鳥の夏」パンフレットやはり榎木津には関口を猿と呼んで欲しいところだ。いや、シリーズ第1作のこの原作を読んだのはもう10年ほど前だから、この中で猿と呼んでいたかどうかはもはや覚えていないのだが、榎木津が関口をいたぶるシーンは入れて欲しかった。映画の榎木津礼二郎はおとなしすぎる(品も良すぎる)。原作ではもっと躁状態の印象が強いのだ。原作のある映画には付きもののこうした不満があることは十分に予想できたから、映画は別物と思って見たが、それでも映画として良い出来とは言えないと思う。劇場用映画は8年ぶりの実相寺昭雄監督は構図を斜めにしたシーンを多用して、不安感を煽る演出を見せているけれども、肝心の憑物落としの場面が長く感じる。憑物落としはいわゆる探偵が真相を話す場面にあたるのだが、この映画、伏線の張り方が不十分なので事件にかかわる重要な人物が唐突に出てくる印象となる。時代設定は昭和27年なのにその風俗があまり描かれないのも残念。木場刑事役の宮迫博之を除けば、キャスティング的には悪くないのだから、ぜひシリーズ第2作「魍魎の匣」(シリーズ唯一のSF)で捲土重来を果たしてほしいと思う。

昭和27年、夏、東京。雑司ヶ谷の産婦人科医院・久遠寺医院の娘・梗子(原田知世)の不思議な噂が広まる。梗子は身ごもって20カ月になるのに一向に出産の気配がないというのだ。しかも梗子の夫は1年半前から行方不明になっている。雑誌記者の中禅寺敦子(田中麗奈)は作家の関口巽(永瀬正敏)に取材協力を頼む。古本屋の京極堂を営む敦子の兄秋彦(堤真一)は関口の親友で、事件を探偵・榎木津礼二郎(阿部寛)に相談するよう勧める。梗子の姉涼子(原田知世二役)が榎木津の事務所を訪れた時、ちょうど居合わせた関口は涼子の美しさに心を奪われ、助けたいと願う。その頃、榎木津の幼なじみの刑事・木場修太郎(宮迫博之)も事件に関わっていた。久遠寺医院の元看護婦が不審な死に方をしていたのだ。そして病院には赤ん坊をさらうという噂も広まっていた。

原作の京極堂シリーズの語り手は関口だが、映画では一歩引いた形になっており、語り方は三人称単数である。関口の過去とも関わりのあるこの事件はシリーズの別の話でも言及されているほどだが、映像化されると、因縁話の側面が強調された感じを受ける。原作にある衒学的な部分を取り払うと、こういう感じになってしまうのだろう。単にストーリーを追うだけでなく、ここは衒学的な魅力の一端でも映像化の工夫が欲しいところ。冒頭にある京極堂の長々としたセリフだけでは物足りないし、映像的にも面白くない。

堤真一の京極堂は口跡が良くて、悪くない。ただし、クライマックスには黒装束を決めてほしかった。映画で着る衣装は紫色がかっていて、憑物落としの場面にふさわしくない。関口巽役の永瀬正敏は気弱そうな部分のみ共通点がある。一番違和感があったのは木場刑事役の宮迫博之で、原作のイメージではもっと中年のいかつい感じのタイプだと思う。この映画にも出ていた寺島進なら良かったか。宮迫博之はイメージに合うとか合わないとかいう以前に演技に問題がある。京極堂シリーズは巻を重ねるごとにキャラクター小説の様相も帯びてきたから、こうしたキャスティングは大事だと思う。

【データ】2005年 2時間3分 配給:日本ヘラルド
監督:実相寺昭雄 製作:荒井善清 森隆一 プロデューサー:小椋悟 神田裕司 原作:京極夏彦 脚本:猪爪慎一 脚本協力:阿部能丸 撮影:中堀正夫 美術:池谷仙克 衣装デザイン:おおさわ千春 音楽:池辺晋一郎
出演:堤真一 永瀬正敏 阿部寛 宮迫博之 原田知世 田中麗奈 松尾スズキ 恵俊彰 寺島進 京極夏彦 原知佐子 三谷昇 清水美砂 篠原涼子 すまけい

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亡国のイージス

「亡国のイージス」パンフレット映画の登場人物たちがこだわる亡国に関する部分がよく伝わってこない。今の日本の現状にどう不満があるのかの説明が不足しており、分かったような分からないような気分になるのだ。残るのは「ダイ・ハード」的シチュエーションのアクションということになるが、これは阪本順治にとって得意な分野ではない。例えば、中盤のイージス艦から発射されたミサイルで護衛艦が沈むシーンなどもう少し緊迫感が欲しいと思えてきてしまう。中井貴一の「よく見ろ、日本人。これが戦争だ」というセリフほどアクションが戦争には見えないのである。「ダイ・ハード」的シチュエーションにしては、アクションに入るまでの前ふりが長すぎると思う。

加えて、登場人物の背景を思い切り簡略化した結果、ヨンファ(中井貴一)と工作員の女ジョンヒ(チェ・ミンソ)の関係(原作では兄妹)がよく分からなくなっている。殺人マシーンであるジョンヒは原作では強烈な印象を放つが、チェ・ミンソはそれほど強そうにも見えない。一番弱いと思うのはテロリストたちの正体で、原作では北朝鮮とはっきり書いてあるのに映画ではこれがあいまい。具体的に国名を出せないさまざまな事情は分かるけれど、それなら架空の国にでもしてしまえば良かった。ヨンファの国がどういう状態か、どういう扱いを受けたかが示されないので、テロリストたちの真の目的もあいまいになり、ヨンファに同調するイージス艦副長の宮津(寺尾聰)にも説得力がなくなっている。ヨンファが自分の国をどうしようとしているのかをもっと描くべきで、それとヨンファの過去を組み合わせなければ、テロリストたちの動機が見えてくるはずはない。テロリストに対抗する仙石(真田広之)と如月行(勝地涼)にしてもキャラクターの描き込みが足りず、この映画、キャラクターの掘り下げ方が足りなかったのが一番の敗因なのではないかと思う。長い原作のまとめ方としては「ローレライ」の方がうまかった。

ヨンファとジョンヒの兄妹は収容所に勤務する両親を暴動で殺され、軍の高官に引き取られた。工作員として育てられたが、過酷な任務でジョンヒは声を失う。敵国の捕虜になり、拷問によって廃人になる寸前のところをヨンファに救出される。やがてヨンファは育ての親の高官を殺し、政府の打倒と国の立て直しを意図するのだ。凄腕の特殊工作員であることと、父親殺しという点で如月行とヨンファには共通点があり、だからこの兄妹は如月を仲間に引き入れようともする。映画ではこうした部分が一切なく、水中の戦いで如月とジョンヒが唐突にキスをする意味がまったく分からない。宮津は国家に息子を殺される。国家への復讐という点でヨンファと共通点があるのである。そうした暗い情念を持った登場人物たちが映画ではまったく薄っぺらになっている。もちろん、原作をそのまま映画にできるわけはないから、省略や変更があるのは当然のこと。しかし、それにしても中途半端な描写が多すぎるように思う。阪本順治は本来なら、こうした人物を描き分けるのが得意のはずだが、脚本にする段階で失敗しているのではどうしようもない。

原作を読んだ時に気になったのは福井晴敏の国防に対するスタンス。敵と対峙しても先に発砲することを許されない自衛隊の在り方への批判と受け取られかねない部分があるのだ。原作は冒険小説的側面を強調しているので、後半、この部分は薄くなるけれど、こういう考えは改憲派に利用されるなと感じた。映画に自衛隊が全面協力したのも原作にこういう部分があったからだと思う。協力をもらったからといって、自衛隊PR映画にする必要はさらさらなく、巧妙に反自衛隊映画にすることもできるのだが、阪本順治にはそういう意図はなかったようだ。この種の映画には政治意識が必要で、硬派の話が書ける人でないと、脚本化は難しい。そういう人材、今の日本映画にはあまり見あたらないのが悲しいところだ。

言わずもがなのことを書いておけば、原作の主人公ははっきりと如月行である。如月行を演じられる俳優もまた見あたらないので主人公を仙石にしたのは仕方がない。原作の仙石は真田広之ほど格好良くはなく、普通のおっさんの感じだが、真田広之はそうした部分も少し取り入れつつ、アクション映画の主演をこなしていて悪くないと思う。

【データ】2005年 2時間7分 配給:日本ヘラルド映画 松竹
監督:阪本順治 製作:坂上直行 久松猛朗 千野毅彦 住田良能 原作:福井晴敏 脚本:長谷川康夫 飯田健三郎 音楽:トレヴァー・ジョーンズ 編集:ウィリアム・アンダーソン サウンド・デザイナー:クリストファー・エイキンス 撮影:笠松則通 美術:原田満生
出演:真田広之 寺尾聰 佐藤浩市 中井貴一 原田芳雄 勝地涼 吉田栄作 谷原章介 豊原功補 光石研 橋爪淳 安藤政信 チェ・ミンソ 岸部一徳 原田美枝子 真木蔵人 松岡俊介 池内万作 佐川満男 矢島健一 佐々木勝彦 天田俊明 鹿内孝 平泉成 中沢清六 中村育二 盛岡龍 斉藤陽一郎

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容疑者 室井慎次

「容疑者 室井慎次」パンフレット「勇気というものは一人に一つしかない。それを捨てた人間は一生逃げ続けることになる」。

室井(柳葉敏郎)の弁護から手を引こうかと弱気になった新米弁護士の小原久美子(田中麗奈)は事務所の津田(柄本明)からそう言われて気を取り直す。元陸上部員の久美子は「神様、もっと私に勇気を」と祈りながら全力疾走することになる。この場面から、室井が学生時代の恋人の自殺の真相を喫茶店で久美子に語る場面までがこの映画の白眉だろう。君塚良一の的確な演出と田中麗奈、柳葉敏郎の演技の充実ぶりに感心せざるを得なかった。端的に言って、この映画はジェームズ・スチュワートが主演していたようなかつてのハリウッド映画の精神を受け継いだ作品と言える。歪んで腐りきった人間と真っ直ぐに生きる人間、醜悪な現実主義者と理想主義者の相克を描き、理想が勝つことを信じて疑わない視線が根底にある。君塚良一の主張はシンプルで力強い。その点を高く評価したい。「踊る大捜査線」のスピンオフだなんだと言う前にしっかりと1本の映画である。「踊る」のテレビシリーズから映画までテーマとして流れている現場とキャリアの確執がここではさらに拡大され、普遍的なものになっているのだ。

ただし、悪徳弁護士・灰島役の八嶋智人の演技には違和感があった。こういうデフォルメされカリカチュアライズされたキャラクターは、「踊る」シリーズにはよく出てくるのだが、この映画ではもっと極悪非道でずるがしこい悪役を設定した方が良かったと思う。幼稚すぎてリアリティに欠けるのである。加えて、新宿北署でのクライマックスの取り調べ場面も全体を締めくくるシーンとしてはまとまりに欠けたきらいがある。この前の場面が良すぎるので結果的にクライマックスが弱くなったのだろう。これは脚本の計算違いではないかと思う。気になったのはこの2点で、あとは監督の言う「信じるもののために真っ直ぐ進んでいく室井という男」を描いてとても面白い映画になったと思う。室井という男を描くことが狙いであったならば、本当のクライマックスは喫茶店のシーンであり、その後の場面は付け足しなのかもしれない。

新宿で起きた殺人事件の捜査を室井は指揮していた。容疑者の警官は取り調べ中に逃走、多数の警官の目の前で車にはねられて即死してしまう。事件は被疑者死亡のまま送検されて終了かと思われたが、室井は遺留品から被害者と被疑者の接点を見いだし、事件の真相は別にあると感じて捜査を続行しようとする。そんな室井を東京地検が特別公務員暴行陵虐罪の共謀共同正犯容疑で逮捕する。被疑者は過酷な取り調べを受け、暴行を受けていた。遺族が刑事告発し、捜査を指揮した室井が罪に問われたのだ。裏には警視庁と警察庁幹部の権力争いがあった。室井を追いつめるのはエリート弁護士の灰島。弁護するのは弁護士になって半年の小原久美子。保釈された室井は停職処分を受けるが、新宿北署の刑事・工藤(哀川翔)らとともに事件の真相を探ることになる。しかし、室井にも久美子にも灰島の妨害工作が待っていた。

新宿の路上で容疑者を追うシーンは撮影許可が下りず、福島県いわき市にオープンセットを組んだという。キネマ旬報9月上旬号のインタビューで君塚良一は「脚本家の僕だったら曲げてる…(中略)監督としての僕はどうにかしてそれを映像にすることしか考えない」と語っている。そうした細部のこだわりが良い結果につながったのだろう。君塚良一の演出は監督第1作の「MAKOTO」よりもずっと地に足の着いたものになっている。

弁護士役はどうかなと思えた田中麗奈は前述の場面で映画を支えるヒロインの風格を見せる。過去にストーカー被害に遭い、警察を信じていないという設定もよく、このキャラクターをスピンオフした映画も面白いかなと思う。

【データ】2005年 1時間57分 配給:東宝
監督:君塚良一 製作:亀山千広 脚本:君塚良一 撮影:林淳一郎 さのてつろう 撮影応援:木村大作 佐々木原保志 水口智之 音楽:松本晃彦 美術:増本知尋 テーマ曲:キース・ジャレット「ビー・マイ・ラブ」
出演:柳葉敏郎 田中麗奈 哀川翔 八嶋智人 吹越満 津嘉山正種 升毅 中原丈雄 松永玲子 大杉漣 佐野史郎 大和田伸也 小木茂光 寺泉憲 木内晶子 山崎樹範 モロ師岡 高橋昌也 品川徹 柄本明 斉藤暁 小野武彦 北村総一郎 真矢みき 筧利夫

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