スクリーン(新聞連載コラム) 

2003年4月

「ダイ・アナザー・デイ」 寅さん思わす007の新作
(2003年4月3日付)
 若年層の市場調査を基に作られている米国映画には食傷気味の年配層も、007の主題曲は血わき肉躍るかたがたが数多く存在すると聞く。
 新作(20作目)の「ダイ・アナザー・デイ」でも007ことジェームズ・ボンドは、問題の某国相手に、むちゃといえばむちゃな活躍をするのだ。
 だが、40年間も同じ主題曲で、同じように女スパイに裏切られ、そして同じような破壊工作ばかりする、このばかなのか賢いのか分からない英国人を見ていると、不意にまるで日本の寅さんやゴジラのように思えてくるから不思議である。
 だから、この新作を見て、間違っても複雑な国際政治など思い起こすことなく、ただ、とらやのおいちゃんのように「ばかだねえ」と温かい目でジェームズを見守ってあげればよろしい。
 そういえば今のO07は妙な野心もなく愛矯(きょう)もある。買いである。映画は愛である。(臼井)


「猟奇的な彼女」 魅力的な展開 男と女の物語
(2003年4月10日付)
 最近の韓国映画のレベルの高さには目を見張るものがある。
 「シュリ」「JSA」から「八月のクリスマス」「春の日は過ぎゆく」に至るまで、世界に通用する一級の娯楽作品がそろっている。
 宮崎でも今年2月に公開された「猟奇的な彼女」は題名に似合わず、魅力的なラブストーリーの傑作だった。一風変わったヒロインを演じたチョン・ジヒョンと弱々しい主人公のチャ・テヒョンの魅力はもちろん、たわいないボーイミーツガールの話かと思いきや、前半の至る所のさりげない描写が、感動的なエンディングヘの伏線となっているストーリー展開の見事さに驚かされた。
 エピソードの寄せ集めの原作を映画にまとめたクァク・ジェヨン監督の手腕は評価に値するものだ。文化も背景も異なる韓国と日本でも、男と女の物語は普遍的なことを再確認した。
 既に米国でのリメークも決定しているという。この映画は必見だ!(笹原)


「ゴスフォード・パーク」 英貴族社会と召し使いの話
(2003年4月17日付)
 1932(昭和7)年の英国。大英帝国の誇り高き貴族の社会と、彼らの召し使いたちのお話。ある日、美しい英国郊外のゴスフォード・パークと呼ばれるカントリー・ハウスに貴族が集まった。貴族にも羽振りの良い貴族と落ち目の貴族とがあるらしく、着飾った美しさから醸し出される気品ある容姿とは裏腹に、その会話の探り合いの面白さには、生つばをごくりとのむほどの快感を味わうことができる。
 加えて、その下で働く使用人たちもまたそれぞれに何かを隠し持っていて彼らの講話にも、傍聴人であるわれわれはまた心がときめくのである。貴族社会と使用人との人間模様を、場面を移動させながら同時進行で映し出している所がロバート・アルトマン監督らしく面白い。
 登場人物がいっぱいで、一人ひとりの名前を覚えることもままならないが、見応えある見事な人間喜劇の逸品である。米作品。(林田)


「棒たおし!」 青春の命題に情熱で答える
(2003年4月24日付)
 すべての撮影が、宮崎で行われた話題の青春映画である。主人公の高校生次雄(谷内伸吉)と友人勇(金子恭平)との友情と、幼なじみの小百合(平愛梨)とのほのかな恋心を描いているのだが、凡百の青春映画と一線を画している点は、その青春の命題にある。
 「どうして人は死ぬって分かっているのに生きるか、分かる?」との小百合の問いに主人公は答えられない。彼女は「希望があるから」と言う。かつて「男はつらいよ」で甥(おい)っ子に、同じ質問をされた寅次郎は「一日が終わって、今日がいい日だったと思えば、それでいいんじゃない」と答えた。
 答えの出ない永遠の命題に、この映画は「棒たおし」という体育祭の競技へ懸ける情熱で答える。主人公たちの熱い気持ちと、口笛で吹く松田聖子の歌が妙にほろ苦く、中年おやじは涙が出た。
 見終わって知人がポツリ。「年を感じるよね」。その人はまだ20代なんだけど…。(笹原)


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