スクリーン(新聞連載コラム) 

2003年7月

「めぐりあう時間たち」 時代交錯させ女の苦悩描く
(2003年7月3日付)
 このような作り方をした映画に私は今まで出合ったことがない。まずストーリーの展開の面白さに驚かされる。時代を行きつ戻りつしながら、三人の女性の生き方が実に見事に描かれている。
 英国の女流作家バージニア・ウルフの小説「ダロウェイ夫人」を軸に、画面は予告もなしに突然時代を超えてぱっと変わるが、それでも観客は全く戸惑わない。脚本がすごいと思う。それにも増してスティーブン・ダルドリー監督の演出のうまさにぼうぜんとする。
 作家としての苦悩をニコール・キッドマンが熱演している。しかし彼女以上に一九五〇年代の豊かなアメリカの主婦の苦悩を演じたジュリアン・ムーアは強烈だった。子どもを捨てて去って行く母親を理解できない観客も多いことだろう。彼女に共感し、おえつし、自分の生き方を振り返ってみる女性もきっと多いと思う。とにかく見てほしい!(林田)


「メラニーは行く!」 主演の女優と米南部に魅力
(2003年7月10日付)
 主人公のメラニーは、ニューヨークで成功を手にしたファッションデザイナー。彼女は大富豪の息子から結婚を申し込まれる。
 世界で最も幸せな女性と思いきや、高校時代の結婚にけりを付けていなかった。メラニーは、夫に離婚してもらうために故郷のアラバマに向かう。果たしてメラニーは、無事離婚できるか。
 この作品、昨年全米で大ヒットし、一億ドルを稼ぎ出したラブコメディーである。
 日本では、「明日も地球はワタシのためにまわる」というような「若い女性のわがまま」を表に出して宣伝しているが、この作品の魅力は、キュートなウィザースプーンと、土臭くてやぼったい、そして人情味あふれるアメリカ南部のアラバマにある。決して、「わがまま女」の話ではない。見逃すにはもったいない作品に仕上がっている。
 ちなみに、本当のタイトルは「スウィート・ホーム・アラバマ」である。(酒 井)


「裸足の1500マイル」 隔離同化策を痛烈に批判
(2003年7月17日付)
 強制的に収容所に連れて来られた先住民アボリジニの幼い少女三人は、収容所を抜け出し、千五百マイル(二千四百キロ)を歩いて母の待つ故郷に向かう。オーストラリアの過酷な自然と追跡者と闘いながら。
 これは実話である。一九三一(昭和六)年当時、オーストラリアではアボリジニの混血児たちを家族から隔離し、白人社会に適応させようとする“隔離同化政策”がとられていた。その政策の対象となり、強制的に収容所に連れ去られた少女三人の故郷まで帰り着く話を映画化している。
 この作品、三人の少女の卓越した演技と、オーストラリアの壮大な自然をうまく映像化したことで素晴らしい出来栄えとなっている。少女たちが千五百マイルの旅をすることだけでも十分に感動的なのに、この映画はさらに隔離同化政策に対する痛烈な批判も行っており、普通の感動作に終わっていない点が高く評価できる。(酒井)


「ミニミニ大作戦」 アクションの豪快さが売り
(2003年7月24日付)
 水の都ベニス。五十億円の金塊を盗み出した天才窃盗犯チャーリーたちは、予想外の出来事に遭い、その金塊を奪われてしまう。三年後、チャーリーたちは奪われた金塊のありかを探し出し、今度はロサンゼルスで再強奪を試みる。
 小気味よく進むストーリーと豪快なアクションが売り物の典型的なアメリカ映画。アクションシーンはミニ・クーパーを使ったカーチェイスが見ものであり、そのため邦題は「ミニミニ大作戦」となっている(原題は「THE ITALIAN JOB」)。
 最近のアメリカ映画はアクションが派手な割にストーリーがずさんな作品が多い。その点、この作品は合格である。欲を言えば、ストーリーにもう少し工夫がほしいと思う。心に残るような感動作ではないが、二時間何も考えずに映画に熱中したい人にはお薦め。それにしても、この映画を見てミニ・クーパーを欲しいと思ったのは私だけだろうか。(酒井)


「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」 アクションとお色気が満載
(2003年7月31日付)
 「映画は女と銃だ」という古い格言がある。これが一九七〇年代に入ると「映画は血とセックスだ」という言葉に変わるが、要はお色気とアクションがある映画は成功するということなのだ。
 「安易な」と心ある映画好きは嘆息するだろうが、その両方が満載されたこの映画がヒットしている事実の前には沈黙せざるを得ない。題名から分かるように七〇年代に大ヒットしたテレビの映画版で、現代の米国を代表する女優が楽しげに演じているのがミソである。しかも実にタフ。高さ五百メートルのつり橋から落ちようと、高速で走る車から振り落とされようと、およそ死ぬなんてことはない。
 「そんなばかな」。心ある映画好きは再度つぶやくだろう。「死」抜きに、どうやってサスペンスを盛り上げるのだ、と。それを狙った映画じゃないのよ、彼女たちはそう言ってあざ笑う。なんたる自信。その自信は今の日本人には必要なのかもしれない。(臼井)

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