2010年5月アーカイブ

「涼宮ハルヒの消失」元の世界に帰るヒントはダン・シモンズの傑作「ハイペリオン」に挟まれた栞に書いてあった。「涼宮ハルヒの消失」というタイトルながら、実際には主人公の男子高校生キョンが改変された世界に放り込まれる話だ。こういうケースの場合、普通はパラレルワールドで説明することが多いが、映画は別の説明を用意している。きっちりと作ったSFという印象を持った。

2時間43分という長いアニメで、原作はどれほど長いのかと思ったら、文庫で250ページしかない。映画がこんなに長くなったのは小説の地の文を主人公のモノローグ(あるいはナレーション)として使っているからだろう。ゆったりと饒舌に進む話が急展開する場面など心地よいのだけれど、もう少し短くできたのではないか。正直に原作通りに作った映画なのだと思う。ただ、この映画化の仕方は悪くない。アニメとして驚くような技術も物語上の新機軸もないが、きちんと作ったところに好感が持てるのだ。

原作は谷川流のライトノベル。テレビシリーズを受けた映画化なので、基本的にはファン向けの作品なのだろう。涼宮ハルヒをはじめSOS団(世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)のメンバーがどんな能力を持っているかは一般観客には初めはよく分からないが、宇宙人(というか、宇宙人が作ったアンドロイド=長門有希)であったり、未来人(朝比奈みくる)であったり、超能力者(古泉一樹)であることは見ているうちに分かってくる。クリスマスを控えたある日、主人公キョンの周囲に不思議な出来事が起こる。昨日まで元気だったクラスメート谷口は風邪を引き、昨日も調子悪かったと言う。クラスの他の生徒にも風邪が蔓延していた。しかも、キョンの後ろの席にいるはずの涼宮ハルヒが消えていた。クラスのみんなはハルヒなんて知らないと言う。ハルヒ代わりにいたのはかつてキョンを殺そうとした朝倉涼子だった。古泉がいるはずの1年9組はなくなっている。SOS団が占拠していた文芸部の部室には長門がいたが、キョンのことを覚えていない。いったい何が起こっているのか。

抑揚のないセリフ回しの長門有希の立ち位置はエヴァンゲリオンの綾波レイに似ている。このほか、ハルヒやみくる、浅倉など登場する女子高生キャラは男子高校生を萌えさせるに十分なかわいらしさ。それだけではなく、ストーリーがしっかりしていることが人気の秘密なのだろう。

ちなみに原作ではヒントが挟まれていた本は「SF大長編の第1巻」とあるだけで題名はない。ハイペリオンシリーズは「ハイペリオン」「ハイペリオンの没落」「エンディミオン」「エンディミオンの覚醒」の全4作(文庫では全8巻)だから大長編というほどではないが、これを選んだのは脚本に協力している原作者か脚本家か。

「タイタンの戦い」特撮の巨匠レイ・ハリーハウゼンが担当した1981年の同名作品(デズモンド・デイヴィス監督)のリメイク。旧作は見ていない(公開当時の評判は良くなかった)が、「アルゴ探検隊の大冒険」などハリーハウゼンの一連のダイナメーションにはやっぱり驚いた経験がある。有名な骸骨と人間の戦いなどは作り物であることが見え見えであっても、それを長時間かけて実現した作りの苦労自体が感動の源になっているのだ。今回の新作は出てくる怪獣・怪物たちがCGで描かれているにもかかわらず、巨大サソリと人間の戦いの場面などに不自然さを感じる(わざとそうしたという説もある)。人間の俳優が絡む場面はいくら技術が進歩しても難しい部分があるのだろう。これを回避するにはフルCGで描けばいいが、それではアニメと変わらなくなる。

とはいっても、この映画、VFXは全般的に水準を保っており、特にクライマックスに登場する巨大なクラーケンの造型などは面白く、なかなか全貌を見せない撮り方も良い。蛇女メデューサの動きの速さはダイナメーションでは表現できない部分だろう。「トランスポーター」「インクレディブル・ハルク」のルイ・ルテリエ監督だけにアクション場面にも抜かりはない。だが、平凡な印象が抜けきらない。同じくデミゴッド(半神)が主人公でメデューサが登場した「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」に比べれば面白く見たが、物語の部分がダイジェストにしか思えないのだ。いくらCGが進歩しようと、ドラマをしっかり組み立てなければ映画は面白くならないというのをあらためて感じさせられる作品と言える。

主人公のペルセウス(サム・ワーシントン)は全能の神ゼウス(リーアム・ニーソン)とアルゴス国の前王妃との間に生まれたデミゴッド。怒った前国王に母親とともに海に流されたところを漁師に助けられて成長する。ゼウスは兄で冥界の神ハデス(レイフ・ファインズ)の提案を受け、神に戦いを挑んだ傲慢な人間たちを懲らしめることを決める。ハデスは現在のアルゴス国王に10日後に海の怪物クラーケンを放ち、国を滅ぼすと宣言。それを回避するには王女アンドロメダ(アレクサ・ダヴァロス)を生け贄に捧げなくてはならない。育ての親をハデスに殺されたペルセウスはアンドロメダを助けようと、クラーケンの退治法を探るため魔女のもとを訪れる。

映画が今ひとつの出来に終わったのは育ての親を殺されたペルセウスの怒りがあまり伝わってこないからか。ルイ・ルテリエの演出はエモーショナルな部分に弱さを感じる。型どおりの演出なので、情感が高まらないのである。主演の「ターミネーター4」「アバター」のサム・ワーシントンはこうしたVFX大作にすっかりなじんできた感がある。特にハンサムとも思えないのに引っ張りだこなのが不思議だが、この映画でも可もなく不可もなしのレベルの演技を披露している。

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