レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで
テーマは一見深刻、出演者は熱演、演出は端正かつ正確なのに出来は水準以上のものではない。決定的に脚本がまずいとしか思えない。サム・メンデス監督作品は「アメリカン・ビューティー」「ロード・トゥ・パーディション」までは感心するところが多かったが、「ジャーヘッド」で普通の作品になり、今回もそう感じた。
いきなりパリへの移住を持ち出すケイト・ウィンスレットに説得力がない。郊外の住宅地に住む主婦の日常の苛立ちの描写が不十分なのだ。若い頃、特別な夫婦と見られ、自分たちも他人とは違うと思っていた夫婦が平凡な存在になることの苛立ちをもっと詳細に描かなければ、パリ行きの提案が唐突に感じられる。平凡でありたくないという願望、日常とは違うところへの脱出の渇望が、女優の道を断たれた挫折感とは違うところで必要なのである。映画の描写では単に甘えた考えの夫婦にしか見えない。
レオナルド・ディカプリオとウィンスレットが「タイタニック」以来11年ぶりの共演というのは話題作り以外のなにものでもなかっただろう。ウィンスレットは映画を背負って立つ熱演で、ディカプリオとの激しい口論の場面は見応えがある。舞台出身のメンデスの演出はこういうところで溌剌としている。ただし、この夫役はディカプリオでなくても良かっただろう。
時代は1950年代。これは原作の設定がそうなっているからだが、現代と50年代の共通点も見えてこない。いや、いつの時代でも夫婦は、近所付き合いは同じという風に極めて矮小化してしまえば、時代なんていつでも良いことになる。逆に言えば、トッド・ヘインズ「エデンより彼方に」のように偏見が多かった50年代でなければ描けなかった話にはなっていず、それならば50年代に設定する意味は薄いように思う。原作がそうだからという消極的な理由しか見あたらないのである。
アカデミー賞で助演男優賞(マイケル・シャノン)、美術賞、衣装デザイン賞の3部門だけのノミネートに終わったのは当然と思える。表面の深刻さとは裏腹にドラマに奥行きがない。サム・メンデス、賞味期限の切れた監督にならないように次回作では捲土重来を期待したい。