It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

ラストエンペラー

主人公の溥儀が戦犯収容所でニュース映画を見るシーンを、配給会社が勝手にカットしたとかしないとかで話題を呼んだこともあって、この映画ヒットしているらしい。南京大虐殺は日本人に反発を買うとの心配から、配給会社が自主規制しようとしたということだが、結果的にはニュース報道が抜群のPR効果を持ったようで、ご同慶の至りである。問題のシーンは別に珍しいものではなく、これまでの映画でもたびたび目にしてきたニュースフィルムの一部。この程度のものをカットしようとは、噴飯ものだ。観客をなめているとしか思えない。もっとも、この国には「南京大虐殺はなかった」と、バカのひとつ覚えのように繰り返す右翼文化人もいるし、教科書からさえもその種の記述は消されているのだから仕方のないことかもしれない。そのニュース映画は日本軍による残虐シーンを延々と見せたあと、広島への原爆投下シーンで終わる。この構成は、アジアの映画ではまったく普通のものらしい。日本軍に蹂躙された国々にとって、広島の原爆とは極悪人に対する天罰でしかない、との記述が本多勝一の著作にあったと記憶する。

さて、ベルナルド・ベルトルッチの8年ぶりの大作「ラストエンペラー」は、しかし、そのような些末な部分をカットされようとも、その偉大な芸術的価値をいささかも損なうことはなかっただろう。セルジオ・レオーネが自作の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」について「これこそが映画だ」と自負を持って語ったのと同じ意味で、これこそが本当に素晴らしい映画なのだと僕は思う。

映画を見る前に目にしていたいくつかの批判は、残念ながら当たってはいた。後半、溥儀が満州国の皇帝となってから描写が駆け足になるとか、東洋に対するエキゾチズムが作品の基調であるとかいった点は、確かに否めない。僕も中国入が英語をしゃべるのには違和感を持った。だが、そうしたことが、わずかな傷としか思えないほど、この映画には大作らしい風格と内容が備わっている。日本を悪く描いているから"日本たたき"の材料になるなどというのは、映画の本質を理解できない人のタワゴトだろう。

映像で言えば、前半の紫禁城内部の宮廷絵巻が興味を引く。名手ビットリオ・ストラーロのカメラは、華麗な衣装や当時の風俗を陰影豊かに写し撮っている。映画は戦犯収容所に入れられた溥儀の回想で語られるのだが、収容所内部の冷たい色調と豪華絢燗の紫禁城との対比が際立っている。セットから衣装まで、どれもリアルで重厚感がある。ベルトルッチはこうした、ヴィスコンティの映画を思わせるぜいたくな作りで、清朝最後の皇帝が庭師にまで落ちていく過程を描ききっている。安易なセンチメンタリズムに流されることもなく、悲劇を強調するのでもなく、その手法はきわめて客観的である。こういうのをプロの仕事と言うのだろう。僕は映画の作り自体、技術そのものに強い感動を覚えた。スタンリー・キューブリック「パリー・リンドン」にあるような、完成度の高い映像がここにはある。

しかし、本当の感動はラストシーンにやって来た。この場面は実話として進行した映画が唯一フィクションヘと転化する場面であり、ベルトルッチの作家としての意思表明である。映画史上に残る名シーン、と言いきってしまおう。

10年間の収容所生活を終えた溥儀は、庭師として平穏な生活を送っている。1967年、かつて自分に思想教育を施した収容所の総監が文化大革命によって犯罪者とされ、見せしめのパレードにいるのを目にする。駆け寄って、「この入は立派な入です」と弁護するが、少年紅衛兵たちには相手にされない。呆然とする溥儀は観光用として公開されている紫禁城に向かう。立入禁止の札を越えて、即位の階段を上ろうとした時に、一人の少年が溥儀を呼び止める。

「守衛の父親と一結にここに住んでいる」と胸を張る少年に、薄儀は「私もかつてはここに住んでいた」と答える。その証拠として、階段の上にある椅子の後ろから缶を取り出す。3歳で即位した時に、一人の兵士がくれたコオロギを入れた缶である。手渡された少年が缶のふたを開けると、中からあのコオロギが出てくる。あたりを見回すと、溥儀の姿は既に消えている…。

もちろん、一匹のコオロギが60年以上も缶の中で生き続けるわけがない。ベルトルッチは、長いあいだ閉じ込められたコオロギが外に出る姿に、溥儀の本当の解放を重ね合わせたのである。紫禁城から天津の租界地、満州、収容所と、溥儀は半生を幽閉されたまま過ごした。収容所から出たあとも、思想想教育で無理に考え方を変えさせられたのだから、本当の解放感はなかっただろう。かつての総監の変わり果てた姿を目にした時に、初めて溥儀はすべての束縛から自由になったのである。コオロギはその比喩にほかならない。

大作を締めくくるに,ふさわしい余韻のあるラストだ。まさに夢のようなシーン。僕は胸が熱くなった。ベルトルッチは、単に溥儀の一生を再現しただけではない。その一生に対する自分の解答を最後に付け加えた。そこに僕は、ベルトルッチの作家性を強く感じる。今さら言うまでもなく、ベルナルド・ベルトルッチは一流の映画作家なのである。(1988年3月号)

【データ】1987年 2時間43分 イタリア=イギリス=中国
監督:ベルナルド・ベルトルッチ 製作:ジェレミー・トーマス 脚本:ベルナルド・ベルトルッチ マーク・ペプロー 撮影:ビットリオ・ストラーロ 音楽:坂本龍一 デヴィッド・バーン スー・ソン
出演:ジョン・ローン ジョアン・チェン ピーター・オトゥール 坂本龍一 ヴィヴィアン・ウー

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