最愛の子
エンタテインメントが得意な香港映画の味わい。映画を見ながらそんな風に思っていたら、監督は「捜査官X」のピーター・チャンだった。なるほど。中国映画と香港映画のタッチはやっぱり歴然と違うのだ。
今は緩和された一人っ子政策の影響もあって、幼い子どもの誘拐が中国では年間20万人に及ぶという。大がかりな人身売買の組織もあるらしい。その実話を基にした社会派の題材でありながら、本編はクスクス笑える場面もある。ラストの皮肉で意外なエピソードは映画のフィクションで、社会派の作品では普通、こういうエピソードは入れない。監督のエンタテインメント気質によるものなのだろう(個人的には悪くないと思った)。はっきり言って、監督がこの映画を作るきっかけになったというドキュメンタリーの一部が流れるエンドクレジットには本編を超えるインパクトがある。ただ、そのインパクトは本編を見ているからこそ余計に大きくなってもいる。
2009年、経済特区深圳の下町でネットカフェを経営する主人公のティエン(ホアン・ボー)は3歳の息子ポンポンと暮らしていた。離婚した元妻のジュアン(ハオ・レイ)のところでポンポンは週に一度過ごすが、ある日、自宅に帰るジュアンの車(アウディA4だ。ジュアンの再婚相手は高収入のようだ)を追いかけたポンポンは何者かに連れ去られて行方不明になってしまう。ティエンとジュアンは必死にポンポンを捜す。ネットで呼びかけ、報奨金を用意する。情報を教える電話はかかってくるが、報奨金目当ての嘘や詐欺ばかり。2人は「行方不明児を捜す会」に参加し、苦悩する親たちと一緒に情報収集するが、ポンポンの行方は分からなかった。3年後、有力な情報がティエンのもとに届く。ポンポンは安徽省の農村にいた。
映画は後半、ポンポンと3年間暮らしていたリー・ホンチン(ヴィッキー・チャオ)が中心になる。死んだホンチンの夫がポンポンを誘拐したらしい。子どもを産めないホンチンはポンポンを我が子のように育てていた。ポンポンも生みの親のティエンとジュアンのことをすっかり忘れてしまっていた。
前半と後半での視点の切り替えによって、映画は生みの親と育ての親の子どもへの深い愛情を描くとともに、一人っ子政策の弊害も指摘し、評価を高める要因になっている。ただ、この切り替えも行き当たりばったりなよくある香港映画に近いものなのではないかと不謹慎ながら思えた。俳優としての格や人気から言って、ヴィッキー・チャオの出番が多くなるのは当然でもある。
しかしエンタテインメントだからこそ、多くの観客を集め、この映画は大きな力を備えた。公開後、中国では刑法が改正されて人身売買が重罪になったという。大衆的な「泣けるエンタテインメント」としてまとめたピーター・チャンの方法は間違っていなかった。暗くて深刻なだけの社会派映画だったら、高く評価されてもヒットは望めず、こうした影響力は持ち得なかっただろう。
ノーメイクで出身地安徽省の方言を話す(らしい)ヴィッキー・チャオも好演しているが、感心したのはホアン・ボーの演技。庶民的な風貌と親しみやすいキャラクターで、息子を思う父親を演じきっている。捜し疲れて道ばたに座り込んだティエンが物乞いに間違えられて通行人からお金をめぐまれる場面の戸惑いの反応など、コミカルな演技のできる俳優でなければ難しかっただろう。