サブウェイ123 激突
地下鉄乗っ取りを描いた傑作「サブウェイ・パニック」(1974年、ジョセフ・サージェント監督)の35年ぶりのリメイク。これはもうはっきりと、旧作の勝ちである。脚本のアイデアが薄いのがダメな点で、これの3倍ぐらいのアイデアが欲しいところだった。犯人側の要求金額を100万ドルから1000万ドルに引き上げたり、乗っ取られた地下鉄車両の様子をパソコンを通じてネットに流したりなどの現代的な脚色は行われているのだが、どれも話の本筋に有機的に絡んでこない。一番ダメなのは犯人グループのリーダー、ジョン・トラボルタと交渉役になるデンゼル・ワシントンのキャラクターが描き込まれていないこと。トニー・スコットのスピーディーな演出も上滑り気味である。
旧作には「本年度分の賄賂はもう締め切った」というウォルター・マッソーの格好いいセリフがあった。今回、デンゼル・ワシントンは日本に車両の選択に行き、35000ドルの賄賂を受け取って降格されたという背景がある。どうもこれが主人公に感情移入しにくい理由になっているようだ。脚本のブライアン・ヘルゲランドとしてはそうした過去を持つ男が事件を通じて再生していくのを描く意図があったのかもしれないが、まったく機能していない。細部に説得力がない。ワシントンは映画のために12、3キロ太ったそうだが、太っただけではキャラに深みを与えることにはならなかった。本当なら、トラボルタに要求されて衆人環視の中で、自分の過ちを告白せざるを得なくなる場面などはもっと盛り上がるはずなのに、そうならなかったのはキャラクターの描き込みが足りなかったからだろう。だいたい、ワシントンが賄賂を受け取るような人間には見えないのだ。元証券マンという設定のトラボルタの役柄も凶暴なだけでキャラが薄く、事件を計画した背景をもっと知りたくなる。他の犯人たちは単なる記号のような存在にすぎない。
原作はジョン・ゴーディの「The Taking of Pelham 123」。旧作が公開されたのは「ポセイドン・アドベンチャー」に始まるパニック映画(ディザスター映画)全盛時で、地下鉄とパニックをくっつけただけの邦題を聞いた時にはなんという安直なタイトルかと思ったものだ。でも、「ジャガーノート」との2本立てで公開された映画は面白かった。マッソーの飄々としたユーモアと事件のサスペンスが絶妙のブレンドだった。犯人グループのリーダー、ロバート・ショーがいかにもできる感じを漂わせていた。犯人グループには風邪を引いている男(マーティン・バルサム)がいて、交渉中にくしゃみをすると、マッソーがすかさず「gesundheit」(ゲズンドハイト=お大事に)と言う。これがラストの伏線になっていたのが心憎い設定だった。
そうした細かい工夫が今回の映画にはすっぽりと抜け落ちている。メインの事件に派手さはないのだから、周辺にもっと凝るべきだった。35年前の映画に勝てないようではリメイクの意味はない。