スパイダーマン
秀才ではあるが、さえない高校生・ピーター・パーカー(トビー・マグワイア)の「これは女の子をめぐる話だ」というまるで「GO」のようなナレーションで映画は幕を開ける。その通り、ピーターが高校生でいるうちの青春映画的な描写はとても好ましく、この路線を進めるなら、「スパイダーマン」はきっとケチをつけるところのない傑作になったかもしれない。ただし、監督のサム・ライミ、やはりアメコミからの映画化である「スーパーマン」や「バットマン」のことがチラリと頭をかすめたのだろう。その後の展開はこの2作を合わせたような話になってしまった。
具体的に言えば、「大いなる力を持つものには大いなる責任が伴う」とピーターを諭す伯父(クリフ・ロバートソン)の描写などは「スーパーマン」第1作のグレン・フォードを思わせるのだが、グレン・フォードが演じた古き良きアメリカの父親的な描写には負けている。伯父の不幸で皮肉な死はピーターに自分の力をどこに向かわせるかの転機になる重要な場面であり、ここを十分に掘り下げて描く必要があったのに、サム・ライミの演出はどうもうまく効果を挙げていない。
また、自らに人体実験を施して人間以上の存在になったグリーン・ゴブリンことノーマン・オズボーン(ウィレム・デフォー)は明らかにジキルとハイド(二重人格者)なのだが、これは「バットマン リターンズ」のバットマンやキャット・ウーマンやペンギンのようにもっと悲哀を感じさせるものにしてもよかったのではないか。ティム・バートンがダークな雰囲気の中で描いたキャラクターたちの悲哀に対して、この映画の終盤にも、バットマンと同じく仮面を脱ぎさる(脱がされる)場面がありながら、スパイダーマンもグリーン・ゴブリンもそのドラマに深みが欠ける。自分が愛する者は不幸な目に遭うと分かっているから、M・Jことメアリー・ジェーン・ワトソン(キルステン・ダンスト)に本心を打ち明けられないスパイダーマンの苦悩を映画は十分に感じさせてくれない。ヒーローの苦悩や悲哀といったものは日本版「スパイダーマン」(平井和正原作、池上遼一画)の方がよほど描いていた。
現実のニューヨークにあんな派手なコスチュームを付けた人物が現れたら、それは喜劇であるということをバートンは「バットマン リターンズ」で登場人物の1人に言わせ、それにもかかわらず説得力のあるドラマを展開してみせた。加えてバットマンの舞台は架空の都市ゴッサム・シティだ。何がいたっておかしくはない。スパイダーマンのリアリティーを欠く表現の根本はコミックでは違和感のないあのコスチュームと舞台設定にあるのではないか。細かいことだが、あのコスチュームを作る場面も少し入れた方が良かっただろう(キャット・ウーマンがミシンを踏んだように)。サム・ライミはどうも方針を間違ったような気がする。ドラマに比重を置いたという割には希薄な作品になってしまった。
ただし、そうした欠点が分かっているにしても、僕はこの映画好きである。ダニー・エルフマンの音楽がいつものことながら快調で(これが「バットマン」との比較をしたくなる要因でもあるが)、心配していたジョン・ダイクストラのSFXもまずまずだった。ビルの間を飛び回るスパイダーマンには爽快感がある。ぜひぜひ2作目は本当に見応えのあるドラマを取り入れた作品にしてほしいと思う。
【データ】2002年 アメリカ 2時間1分 配給:ソニーピクチャーズ・エンタテインメント
監督:サム・ライミ 製作総指揮:アビ・ラビド スタン・リー 製作:ローラ・ジスキン イアン・ブライス 原作:スタン・リー スティーブ・ディック(マーヴルコミック) 脚本:デヴィッド・コープ 撮影:ドン・バージェス 美術:ニール・スピサック 特殊効果:ソニーピクチャーズ・イメージワークス 視覚効果スーパーバイザー:ジョン・ダイクストラ 衣装デザイン:ジェームズ・アシェソン 音楽:ダニー・エルフマン
出演:トビー・マグワイア ウィレム・デフォー キルスティン・ダンスト ジェームズ・フランコ クリフ・ロバートソン ローズマリー・ハリス J・K・シモンズ