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シネマ1987online

戦場のピアニスト

「戦場のピアニスト」パンフレット

もちろん、ダビデの星の腕章を着けさせられる差別からゲットー移住、収容所送りへと続くユダヤ人迫害の場面はテレビや映画や書籍で何度も見た(読んだ)ものではあるのだが、それでもやはり胸を締め付けられるような思いがする。気まぐれに簡単にユダヤ人を撃ち殺すドイツ兵の描写には「シンドラーのリスト」の時と同じように心が冷えてくる。飢えと恐怖と絶望に苦しめられ、人間の本性がむき出しにされるゲットーの生活をロマン・ポランスキー監督は1人のピアニストの視点から冷徹に描き出す。前半はこういう粛然とせざるを得ないような描写が続く。

映画は後半、収容所行きの列車から危うく難を逃れた主人公がさまざまな人たちの力を借りて生きのびていく姿を描く。隠れ家を転々とし、物音も立てずにひっそりと生きる主人公の姿は、戦争が終わったことも知らずにジャングルの中で暮らし続けた日本兵を思わせる。主人公は飢えに苦しみ、病気で死にそうになりながらも生き抜いて終戦を迎えることになる。

この後半も優れた描写ではあるのだが、主人公が生きるか死ぬかだけに話が絞られてくるので物足りない思いも残る。実話だから仕方がないし、過酷な生活を送った主人公の生き方にケチを付けるつもりも毛頭ないが、この主人公からは絶対に生き抜くという信念は感じられない。レジスタンスに参加するわけでもないし、状況を少しでも変えようと努力するわけでもない。逃げ隠れ、友人に食料を運んでもらって、単に運が良くて生きのびたように見えてしまう。収容所で殺され、レジスタンスで倒れた多数の人々に比べれば、主人公は生き抜いただけでも恵まれていた。話をこうした受動的で運の良い男に収斂させてしまうと、映画としてはちょっと弱いと思う。ユダヤ人迫害を十分に描いているじゃないか、と言われれば、確かにその通りだが、そういう映画はほかにもたくさんあるのだ。良い映画であることを否定はしないけれど、物語を締め括る視点にもう一つ独自のものが欲しかったと思う。原作は終戦直後に出されているから大きな意味があったが、ただ単に戦争を部分的に目撃した男の話では、今となっては遅れてきた作品になってしまうのである。戦争の記憶は風化していくものだから、こういう映画を今作ることに意味がないとは思わない。しかし、先例がある映画を超えるにはプラスアルファが必要だと思う。

両親がポーランド出身で、ゲットーでの生活も体験したロマン・ポランスキーは「シンドラーのリスト」の監督を要請されたそうだ。それを蹴ったのは自分に近すぎる題材だったためという。この映画の後半を主人公の生きのびる姿に絞ったのはポランスキーにとって、まだあの狂気の時代が重くのしかかっているからなのかもしれない。

終盤、廃屋の屋根裏部屋に隠れ住んだ主人公は食料を捜しているうちにドイツ人将校に見つかる。意外なことに将校は主人公を生かし、食料を分け与えるようになる。パンフレットによると、このドイツ人将校はほかにもユダヤ人を助けたことがあり、助けられたユダヤ人によって名前が分かったそうだ。ヒトラー直属の親衛隊とは違って、自分の視点で戦争の現実を見ることができる人だったのだろう。映画では主人公にピアノを弾かせる場面があることで、この将校が主人公を殺さなかったのはピアニストだったからのように見えてしまう。人命を助ける行為は尊いが、誰を助け、誰を見殺しにするかの選別の意識は基本的にユダヤ人差別の意識から遠いところにはない。

2002年カンヌ映画祭でパルムドール受賞。アカデミー賞にもノミネートされている。脚本はチェコのレジスタンスの若者たちを描いた鮮烈な傑作「暁の7人」(1976年、原題はOperation Daybreak)のロナルド・ハーウッド。常に哀しい目をした主演のエイドリアン・ブロディはヒゲを延ばした後半、キリストのように見えた。

【データ】2002年 ポーランド=フランス 2時間28分 配給:アミューズピクチャーズ
監督:ロマン・ポランスキー 製作:ロマン・ポランスキー ロベール・ベンムッサ アラン・サルド 原作:ウワディスワフ・シュピルマン 脚本:ロナルド・ハーウッド 音楽:ヴォイチェフ・キラール プロダクション・デザイン:アラン・スタルスキ 衣装デザイン:アンナ・シェパード 撮影:パヴェル・エデルマン 美術:ニーナ・ペクール
出演:エイドリアン・ブロディ トーマス・クレッチマン フランク・フィンレイ エミリア・フォックス エド・ストッパード ジュリ・レイナー ジェシカ・ケイト・マイヤー ルース・プラット ミハウ・ジェブロフスキ ワーニャ・ミュエス

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