It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

シティ・オブ・ゴッド

「シティ・オブ・ゴッド」パンフレット

映画を見て最初に連想したのはマーティン・スコセッシ(「グッドフェローズ」)であり、ガイ・リッチーだった。ギャングという題材、時間軸と視点を自在に操るタッチ。フェルナンド・メイレレス監督は重たく深刻な題材を解体し、再構成して絶妙の映画に仕上げた。このうまさには恐れ入る。後に凶悪なギャングに成長する少年リトル・ダイスの人を撃ち殺すのが楽しくて仕方がないといった表情や、「(撃たれたいのは)どちらか選べ。手か足か」とガキ軍団の幼い2人が迫られて泣き叫ぶ場面などはショッキングなのだが、全体として軽快にテンポよく進む作りにはもう絶賛を惜しまない。モーテル襲撃事件の真相のミステリ的な描き方であるとか、「二枚目マネ」が死に至る原因となった意外な人間関係であるとか、そういう部分をサラリと描いているのがまた憎い。

逆に言えば、そうした技術的な圧倒的なうまさがテーマの深刻さを減じるベクトルともなっていて、これは社会派のテーマを持つ映画でありながら、恐ろしく出来の良いエンタテインメントとして機能することになる。だから、人の命の軽さが点景として多数描かれること、銃やドラッグの本質的な怖さを感じにくいことなどに、かすかな違和感もある。つまりテーマよりも技術の方が目立つ映画なのであり、あまりにも面白いので、そういう微妙なケチの付け方をしたくなる作品なのである。多数の映画賞にノミネートされながら、受賞が少ないのはそういう部分があるためではないかと思う。時代背景に合わせた効果的な音楽の使い方を含めて(意外なことに)心地よい映像になったのはメイレレスがCM監督出身であることと無関係ではないだろう。あらゆる技術を駆使して商品(題材)を一流のパッケージにくるんで見せているわけだ。いずれにしても、今年のmust seeの1本であることは確かで、メイレレスの他の作品も見たくなってくる。

物語の語り手は“神の街”と呼ばれるスラムに住むブスカペ(アレシャンドレ・ロドリゲス)。逃げたニワトリを追いかけるギャングの一団と警察官の間に挟まったブスカペの回りをカメラがグルリと回り、ブスカペの回想で映画は60年代後半にジャンプする。冒頭からここまでの軽快な映像のつなぎが見事だ。リオデジャネイロ郊外にある公営住宅シティ・オブ・ゴッドは貧乏な人々が住むスラムで、ブスカペは写真家になってここから出る夢を抱いている。兄のマヘクはケチなチンピラで友人2人と強盗を繰り返しているが、ある日、少年リトル・ダイスの発案で3人はモーテルを襲撃。泊まり客から金品を奪い、逃走する。後には惨殺死体が残っており、3人は警察から追われることになる。以上が「優しき3人組の物語」。映画はこの後、リトル・ダイスからリトル・ゼへと名前を変えた「リトル・ゼの物語」、ドラッグの浸透を描く「アパートの物語」、ブスカペの青春を描く「マヌケ野郎・悪事の試み」、街一番の人気者の悪党ベネを描く「ベネの送別会」、恋人をレイプされ家族を殺されてリトル・ゼへの復讐心に燃える「二枚目マネの物語」、リトル・ゼの最後を描く「終焉のはじまり」とエピソードをつなぎながら、80年代までの街のギャングの変遷を活写する。

3人組の物語では脇役として登場したリトル・ダイスがギャングの中心にのし上がっていくのがうまい構成。街はリトル・ゼとドラッグの扱いで対立するセヌーラの二大勢力によって分断され、全面的な抗争が起こり、名前とは裏腹の地獄の街と化していく。多数の登場人物を明確に描き分け、小さなエピソードの連続で見せていくメイレレスの手腕は賞賛に値するものだ。実際のスラムでオーディションで選んだという出演者たちのリアルな演技がドキュメント的なタッチを増している。

【データ】2002年 ブラジル 2時間10分 配給:アスミック・エース
監督:フェルナンド・メイレレス 共同監督:カチア・ルンヂ 製作:アルドレア・バルタ・ヒベイロ マウリツィオ・アンドラーデ・ラモス 製作総指揮:ヴァルテル・サレス ドナルド・K・ランヴァウド 原作:パウロ・リンス 脚本:ブラウリオ・マントヴァーニ 撮影:セザール・シャローン 美術:ツレ・ペアケ 音楽:アントニオ・ピント エヂ・コルチス
出演:アレシャンドレ・ロドリゲス レアンドロ・フィルミノ・ダ・オラ セウ・ジョルジ ジョナタン・ハーゲンセン ドグラス・シルヴァ ダニエル・ゼッテル マテウス・ナッチェルガリ

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