サルバドル 遙かなる日々
今、ベトナムで共産主義の侵略を防がなければ、次はフロリダで防ぐことになる−有名なドミノ理論というやつだ。共産主義はドミノ倒しのように各国に波及し、ついにはアメリカの自由を脅かす…この考えからアメリカはベトナム戦争に介入した。その姿勢は今も変わるところがない。ニカラグアの反政府勢力ゲリラ・コントラに武器を援助し、この「サルバドル」で描かれた左翼ゲリラFMLN(ファブランド・マルチ民族解放戦線)から守るのもそのためである。中米諸国が共産主義になってしまったら大変だ、との意識がアメリカにはあるのだろう。距離的にははるかに近いのだから、ことはベトナムの比ではない。
「サルバドル」はそうしたアメリカの政策を明らかに間違いだ、と指摘している。それは共産主義への共鳴からではなく、虐殺される民衆に耐えられないという人道的な立場からのものである。だからこそ、この映画のメッセージは力強い。
1980年、ジャーナリストのリチャード・ボイル(ジェームズ・ウッズ)は特ダネを得るために車で国境を越える。ボイルはベトナムやカンボジアなどの激戦地を巡ってきたらしいが、シドニー・シャンバーグのような一流の記者ではなく、フリーのトップ屋である。酒や女にだらしがない、いい加減な男でジャーナリストとしての崇高な使命感といったものはないようだ。しかし、シャンバーグと比べて、ボイルを凄いなと思うのは、ゲリラ側からも取材することだ。あの「キリング・フィールド」の中で、シャンバーグはクメール・ルージュに支配されたカンボジアから逃げることしか考えていなかった。大方の記者はそんなものである
映画はこのボイルと恋人のマリアを軸にエルサルバドルの凄まじい内乱の現状を見せる。セジュラ(身分証明書)がないばかりに政府軍に虐殺される若者、夥しい死体、日常的に繰り返されるテロ…ボイル自身も何度か政府軍に狙われる。折しも、テレビではレーガン大統領の当選を伝えるニュースが流れる。「強いアメリカの実現だ」と喜ぶ大使館員たち。その周りには最前線を見ようともしないテレビ・リポーターたちがいる。
完成度は別にして、これは「プラトーン」より広がりのあるテーマだと思う。何のかんのいっても、結局「プラトーン」は20年前の話なのだ。いくら戦争の秘密を暴こうが(ベトナム戦争に詳しい人なら、皆あの程度のことは知っていた)、もう打つ手はないわけで、虚しいのである。ついでに言えば、現在の第2次ベトナム戦争映画ブームの根底にあるのは、アメリカ人のレトロ感覚なんじゃないかと僕は思っている。これに対して「サルバドル」は現在進行形の話だ。まだ、エルサルバドルの内乱(映画に出てくる政府側の人間はこれを共産主義の侵略と呼ぶ)は続いているのだ。
東京国際映画祭のゲストで来日したオリバー・ストーンは、この映画を政治的に語ってもらいたかったらしい。ところが、記者会見で出た質問は映画的なものばかりで、ひどくストーンを失望させたという。そうだろう、そうだろう。日本の映画評論家(あるいはリポーター)の水準などそんなものだ。第一、中米諸国の現状についてどの程度、彼らが知っているか、全く疑わしい。
ストーンの強みは深刻なテーマをハリウッド流の娯楽映画の技術で描けることにある。だから、技術云々だけの批評で終わってしまっては、映画の本質を見失うことになりはしまいか。自省を込めて、そう思う。(1987年11月号)
【データ】1986年 アメリカ 2時間2分
監督:オリバー・ストーン 製作:ジェラルド・グリーン 脚本:オリバー・ストーン リチャード・ボイル 撮影:ロバート・リチャードソン 音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ジェームズ・ウッズ ジェームズ・ベルーシ ジョン・サヴェージ トミー・プラナ