トータル・フィアーズ
トム・クランシー「恐怖の総和」を「レッド・オクトーバーを追え!」「パトリオット・ゲーム」「今そこにある危機」に続いて4作目となる。29年前の第4次中東戦争で行方不明となったイスラエルの核爆弾がテロリストの手に渡り、ボルチモアのスーパーボウル会場で爆発する。米ロは互いに疑心暗鬼となり、核戦争勃発へ一触即発の危機を迎える。CIA分析官のジャック・ライアン(ベン・アフレック)は核戦争を制止するため奔走する、というサスペンス。核爆弾がアメリカ本土で爆発してしまうという展開が凄いが、同時テロの後ではこれもありうるかと思える。映画は十分に面白い出来で、ロビンソンの演出も手堅い。ただし、話が何だか簡単なのである。核爆弾が爆発するのは映画の中盤で、そこから米ロ首脳の駆け引きが始まるのだが、CIAの調査で爆弾はアメリカ製のものであると分かったのに、それがエアフォース・ワンにいる大統領(ジェームズ・クロムウェル)に伝わらないという描写が説得力を欠く。テロリスト(イスラム勢力ではなく、ネオナチを中心にしたファシスト)側の描写も物足りないし、核爆弾のアメリカへの持ち込みにも詳しい描写がほしいところ。テロリストは最後に殲滅されるが、これも同時テロを思えば、そんなに簡単にはいかないだろうと思えてくる。
もはや米ロ対立による核戦争の危機というテーマ自体が古びてきたのだろう。映画は核兵器がテロリストの手に渡った際の怖さをもっと強調すべきだった。あるいは核兵器がインドとパキスタンのような局地的戦闘によって使われるかもしれない怖さ。そちらの方がよほど現実的なのである。原作のパレスチナのテロ組織が映画ではファシストに変更されたのは、現実を反映しすぎないためではないかと思えてくる。しかもこの組織が最初から米ロの対立を狙って、核爆弾(原作では水爆)を爆発させるというのも説得力がない。米ロの核戦争がどんなメリットを組織側にもたらすのかよく分からないし、考え方としてはちょっと回りくどいのではないか。むしろアメリカに憎悪を持つテロリストという設定の方が良かったと思う。映画の中でアメリカとロシアは「常に裏口は開けている」というセリフがある。CIA長官のキャボット(モーガン・フリーマン)はロシアの首脳の一人と常に連絡を取り合っているのである。しかし、アメリカはテロリスト側とは表も裏も接触を持ちようがないだろう。大国同士のいがみ合いよりも、何が起こるか分からないという恐怖に優るものはない。
核爆発の衝撃波の描写には迫力があるし、爆発後の色彩を抑えた描写も効果を挙げている。1991年に発表された原作を現代的にアレンジしようと映画にはチェチェン紛争なども取り入れてあるが、肝心のところで現実の反映に失敗している。技術的には問題ないのに、物語の展開が嘘くさいので全体として絵空事のサスペンスとしか思えないのである。原作者が製作総指揮を務めながら、なぜこんなことになるのか。
ハリソン・フォードより若返ったライアンを演じるベン・アフレックは「パール・ハーバー」に比べれば好演。もっとも、映画を支えているのはモーガン・フリーマンの渋い演技で、話の方向が定まらず、やや弱い前半はフリーマンがいるだけで画面に厚みが出てくる。音楽はジェリー・ゴールドスミス。今回も大作にふさわしいスコアを提供している。
【データ】2002年 アメリカ 2時間2分 配給:東宝東和
監督:フィル・アルデン・ロビンソン 製作:メイス・ニューフェルド 製作総指揮:トム・クランシー ストラットン・レオポルド 原作:トム・クランシー「恐怖の総和」 脚本:ポール・アタナシオ ダニエル・パイン 撮影:ジョン・リンドレー 音楽:ジェリー・ゴールドスミス プロダクション・デザイン:ジェニーニ・オッペオール 衣装デザイン:マリー・シルヴィ・デュヴォー
出演:ベン・アフレック モーガン・フリーマン ジェームズ・クロムウェル リーヴ・シュライバー アラン・ベイツ フィリップ・ベイカー・ホール ロン・リフキン ブルース・マッギル シアラン・ハインズ ブリジット・モイナハン マイケル・バーン