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トーマス・クラウン・アフェアー

「トーマス・クラウン・アフェアー」

「君が僕を信じていなくても、僕は君を信じている。それで十分だろう」。トーマス・クラウン(ピアース・ブロスナン)から一緒に逃げようと誘われて、キャサリン・バニング(レネ・ルッソ)の心は揺れ動く。バウンティ・ハンターだった父の血を受け継ぎ、保険調査員として男と対等に渡り合ってきたタフなキャサリンは、絵を盗んだ犯人であるトーマス・クラウンを信用しきれない。しかもクラウンの周辺には別の女の影があり、現に今、寝室にその女がいるのを見たばかりだ。結局、キャサリンは盗んだ絵を返すという翌日のクラウンの行動を知り合いの刑事に告げることになる。そこから二転、三転する展開にうならされる。キャサリンは飛行機の中で泣き崩れることになるのだが、それが一転してハッピーエンドに向かう心地よさ。おまけにラストに流れるのはあの名曲「風のささやき」だ。粋な、とっても粋な大人の映画である。脚本の視点に少し不満があるけれど、女心を巧みに表現したレネ・ルッソに免じよう。後半の情感たっぷりの展開を僕は堪能した。

クラウンが美術館からモネの絵を盗むシーンが中心だった予告編ではこの映画の本質は伝わらない。実際、絵を盗むシーンは物語の発端であり、クラウンと事件を調べる保険調査員キャサリンの出会いから本当の物語は始まるのである。事件は東欧の4人組の仕業と思われたが、キャサリンはビデオとモネ愛好者のリストからクラウンに目を付ける。クラウンは投資会社を経営する実業家で大金持ち。盗む理由はないが、事件は金目当てではないとキャサリンは推理した。キャサリンはパーティー会場でクラウンに接近し、「犯人はあなただ」と指摘する。そこから2人の追いつ追われつの駆け引きが始まり、やがてそれは愛情に発展する。2人の情熱的な描写を経て、前述の場面につながるのである。

スティーブ・マックイーン、フェイ・ダナウェイ主演「華麗なる賭け」(1968年)のリメイクではあるけれど、内容はまったく別物だ。後半の脚本の重点は中年女性の愛であり、盗みや警察との駆け引きは背景に退く。レネ・ルッソの存在が大きいのである。脚本の視点の不満というのは、それならば最初からキャサリンの視点で描いた方が良かったと思うからだ。映画は最初クラウンの視点で始まる。クラウンの盗みのシーンは、ジョン・マクティアナン監督らしくスピーディーにてきぱきとした描写で優れてはいるけれど、映画の本質からは外れている。クラウンには女の存在など観客にも明らかにされない謎があるため、主人公には向かないのである。製作も務めたピアース・ブロスナンはキャサリンという役についてこう語っている。「小娘じゃなくて、人生の挫折も失恋も経験のある、心に傷のある女性にしたかった。となれば、彼女(ルッソ)が適任だと思ったのさ」。この判断は正しいと思う。それだけに脚本の視点の統一性のなさが惜しい。

脚本はカート・ウィマーが主に犯行シーンを書き、それ以外をレスリー・ディクソンが書いたのだそうだ。これが視点の統一を欠く原因になったのかもしれない。小さな傷というには少し無理があり、この映画、合格点は挙げられても絶賛することには躊躇いがある。しかし、「レッド・オクトーバーを追え!」以来スランプ気味だったマクティアナン、これで復活の兆しが見えたと思う。45歳にはとても見えないレネ・ルッソにも、もっと映画に出て欲しい。

【データ】1999年 アメリカ映画 1時間53分 MGM映画提供 UIP配給 製作:ピアース・ブロスナン ボー・セント・クレア
監督:ジョン・マクティアナン 脚本:レスリー・ディクソン カート・ウィマー 原案:アラン・R・トラストマン 撮影:トム・プリーストリー 音楽:ビル・コンティ 衣装:ケイト・ハリントン
出演:ピアース・ブロスナン レネ・ルッソ デニス・レアリー ベン・ギャザラ エスター・カニャーダス フェイ・ダナウェイ

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