マジェスティック
終戦から6年目の1951年。出征した若者のうち62人が戦死し、片田舎の小さな町ローソンは未だに悲しみに沈んでいる。そこへ9年半ぶりにMIA(戦闘中行方不明者)だったルーク(ジム・キャリー)が帰ってくる。ルークは以前の記憶をすっかりなくしていたが、戦場での勇敢な行動で勲章をもらった町の英雄とも言える人物。父親ハリー(マーティン・ランドー)は息子の帰還を喜び、恋人アデル(ローリー・ホールデン)との愛も甦る。ルークとハリーは閉鎖された映画館マジェスティックを再開し、町には久々に活気が戻る。
もちろん、映画はこの前にルークが実はピート・アプルトンという新進の脚本家であり、非米活動委員会から学生時代の共産党主催の集会への参加をとがめられて聴聞されようとしていた人物であることを語っており、観客は真相を知っている。ピートはブラックリストに載ったことで自棄になり、車を走らせていたところで橋から落ちて記憶を失ってしまったのだ。ピートはルークとそっくりだったため、父親から息子と誤解されてしまう。町の人々もルークの帰還を温かく歓迎する。この1950年代の美しい田舎町の描写がとにかく素晴らしくよい。小さな諍いはあっても、町の人たちは善人ばかり。国を信じて出征した息子たちの死の悲しみを抱きつつ平和に暮らしている。主人公とアデルがゆっくりと愛をはぐくむシーンはとてもロマンティックだ。
そんな平和な町に地響きを立て車を連ねてやってくるFBIは悪魔のようだ。赤狩りに狂乱状態となったアメリカは本当のことを言える状況にはなかった。だからこそ、フランク・キャプラ映画のジェームズ・スチュアートを思わせるジム・キャリーのクライマックスのセリフには強く胸を揺さぶられる。「ルークだったら、こう言ったでしょう。俺たちはこんな国のために戦って死んだわけじゃない」。その言葉に町の老人がつぶやく。「自由を守らなければ、彼ら(戦死した町の若者たち)は犬死にだ」。
フランク・ダラボンははっきりと、キャプラへのオマージュを捧げている。脚本でうまいのは主人公を理想主義の人物にはしなかったこと。ジェームズ・スチュアートが演じたような善人で悪を許さない高潔な人物は今描けば、パロディに近くなる。そこで脚本のマイケル・スローン(ダラボンの高校時代の友人という)は主人公の恋人アデルに自由と正義を信じる役割を振った。アデルは子どものころに見た映画に影響されて弁護士になろうと決意した女性であり、主人公に議会での偽りの証言は間違いだと諭す。アデルが託した合衆国憲法とルークの手紙を読んで、直前まで投獄を逃れるために偽りの証言をしようとしていたピートは用意していた声明文も読まず、告発もしないのである。
この感動的なシーンの後にある「幸せの黄色いリボン」を思わせるようなラストも素敵だ。そんな理想は現実には通用しないよと分かっていても、共感せずにはいられなくなる。非米活動委員会がやったことは、この映画の描写ではとても足りないし、「(赤狩り旋風が吹き荒れる)今のアメリカは本当のアメリカではない」という主張も実を言えば、アメリカ賛美の思想に突き進むものではあるのだが、普通の人たちが勇気と希望を取り戻す物語として、そして正義と真実が勝利する物語として脚本には迷いがない。ジム・キャリー、マーティン・ランドーをはじめ出演者たちが絶妙。2時間33分をゆったりとしたペースで綴るダラボンの演出もうまい。
【データ】2001年 アメリカ 2時間33分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:フランク・ダラボン 製作:フランク・ダラボン 脚本・共同製作:マイケル・スローン 製作総指揮:ジム・ベンケ 撮影:デヴィッド・タターソル 美術:グレゴリー・メルトン 衣装:キャリン・ワーグナー 音楽:マーク・アイシャム
出演:ジム・キャリー マーティン・ランドー ローリー・ホールデン デヴィッド・オグデン・スティアーズ ジェイムズ・ホイットモア ジェフリー・デマン ロン・リフキン ハル・ホルブルック ボブ・バラバン ブレント・ブリスコー ゲリー・ブラック スーザン・ウィリス キャサリーン・デント カール・ベリー ブライアン・ホウ