It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

めぐりあう時間たち

「めぐりあう時間たち」パンフレット

「アバウト・シュミット」が大衆文学なら、こちらは純文学の趣。ただし、感心したのは純文学的な趣向ではなく、終盤の驚嘆すべき展開にある。

1923年のヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)と1951年のローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア)、2001年のクラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ)の3人の女性の1日を描くこの映画、終盤のミステリー的な趣向で一挙に3つの時代が交錯してくる。その人間関係が明らかになった後の展開にいたく感心した。ムーアとストリープの緊張感のある演技(特にストリープ)がこの場面を支えている。主演女優賞を取ったのは付け鼻で本人の面影がまったくないキッドマンだったが、ストリープでもムーアでも良かったかもしれない。三者三様の質の異なる演技はこの映画の大きな見どころだ。傑作「リトル・ダンサー」に続いて監督2作目のスティーブン・ダルドリーの演出は知的で緊密な作業の積み重ねであり、デヴィッド・ヘアの脚本も見事。なぜこれが脚色賞を取らなかったのだろう。

原作はピュリッツアー賞とペン/フォークナー賞を受賞したマイケル・カニンガムの小説で、デヴィッド・ヘアは早い段階でナレーションに頼らない脚色を決めたという。だから、原作のこんなセリフもクラリッサの口から語られることになる。

まだまだ幸せの序の口だと思っていた。でも、あれから30年以上の時が流れ、クラリッサはときに愕然とすることがある。あれが幸せだったのだ。…今ならわかる。あれこそまさに至福の時だった。あのとき以外に幸せはなかった。

3人の女はそれぞれに苦悩を抱えている。ヴァージニアは精神を病み、ローラは日常に倦み、クラリッサはかつて恋人だったエイズの友人(エド・ハリス)に心を砕く。それぞれのエピソードが並列的に描かれる前半は、3人の演技と素晴らしい撮影とフィリップ・グラスのどこか「めまい」を思わせる音楽をもってしてもまあ、あまり心には響いてこない。他人の苦悩なんか知ったことか、という感じである。3つの時代のエピソードが絡まり合っていく過程で映画は輝き出す(1枚の写真でクラリッサとローラのつながりを見せるのがうまい)。と同時に前半の描写がじわりと効いてくる。苦悩する3人の女たちは、自分のそばにある幸せに気づかない女たちでもあるのだった。ヴァージニア・ウルフはそれに気づかないまま、入水自殺をとげてしまうが、あとの2人は現状の幸せに気づき、再生への思いを抱くに至る。

この映画のストーリーから言えば、「ダロウェイ夫人」を執筆中のヴァージニア・ウルフの姿はもっと遠景に引いても良かったのではないかと思う。しかし、いつも眉を寄せ、病んだ感じを漂わせるキッドマンはそれを中心に持ってこさせずにはおかない力を備えている。個人的にはこの演技は作りすぎの感じが否めないと思うし、ファンとしてはキッドマンにはいつも美人でいてほしいのだが、異様な迫力を持つ演技ではある。ムーアの中流家庭の満たされない主婦役も頑張っているけれど、僕が一番感心したのはストリープの自然な演技で、この映画の本当の主演もストリープなのだと思う。

【データ】2002年 アメリカ 1時間55分 配給:アスミック・エース 松竹
監督:スティーブン・ダルドリー 製作:スコット・ルーディン ロバート・フォックス 製作総指揮:マーク・ハッファム 原作:マイケル・カニンガム 脚本:デヴィッド・ヘア 撮影:シーマス・マクガーヴィ プロダクション・デザイン:マリア・ジャーコヴィク 衣装デザイン:アン・ロス
出演:ニコール・キッドマン メリル・ストリープ ジュリアン・ムーア スティーブン・ディレイン ミランダ・リチャードソン ジョージ・ロフタス チャーリィ・ラム ジョン・C・ライリー トニ・コレット ジャック・ロヴェロ マーティン・ゲイル コリン・スティントン エド・ハリス クレア・デインズ ジェフ・ダニエルズ アイリーン・アトキンズ

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