マグノリア
ロサンゼルス郊外のサン・フェルナンド・バレーを舞台にさまざまな人々の1日を描く群像ドラマ。主人公はいない。どの人物も対等に描かれ、次々にエピソードが綴られていく。個々の描写に説得力があるし、編集も素晴らしい。複数のストーリーが同時進行するこの映画を破綻なくまとめられたのはポール・トーマス・アンダーソン監督の非凡な手腕によるものだろう。音楽のセンスの良さとそれを利用したMTV的な映像の作りも際立っている。登場人物がエイミー・マンの歌をリレーして歌う場面の楽しさ(ここは監督自身はミュージカルと言っているが、長い映画のインターミッション的意味も持つ)はその最たるものである。さらに唖然呆然のクライマックスによって、この監督の異能ぶりがはっきりする。ドラマトゥルギーの基本としてこうしたクライマックスは不可欠なのだが、それにしてもなんというアイデアだろう! 僕は驚き、そしておかしくなった。登場人物の一人のように「こんなこともある。こんなこともあると思ってた」とつぶやくしかないではないか。不本意な過去を持つ登場人物たちが、すべての過去を断ち切り、再スタートするための契機として、このクライマックスの衝撃はなくてはならなかったのだと思う。
主要登場人物は12人。それぞれに相関関係があるが、ストーリーとしては大まかに5つに分けることができると思う。末期ガンで死の床にあるアール・パートリッジ(ジェイソン・ロバーズ)と妻(ジュリアン・ムーア)、実の息子フランク(トム・クルーズ)が絡むパート、やはりガンで余命2カ月となったクイズ番組の司会者ジミー・ゲイター(フィリップ・ベイカー・ホール)と妻ローズ(メリンダ・ディロン)、家出した娘クローディア(メローラ・ウォルターズ)を中心にしたパート、この娘と警官ジム(ジョン・C・ライリー)の出会い、クイズ番組に出演する天才少年スタンリー(ジェレミー・ブラックマン)と父親(マイケル・ボウエン)の話、そしてこのクイズ番組で有名になったが、今は電気店の広告塔でしかないドニー・スミス(ウィリアム・H・メイシー)の話−の5つである。
ドニーと警官ジムの話を除けば、これは家族についての話であることが分かる。そしてこの2人を含めて共通するのがいずれも自分の過去に後悔や失敗を抱え、現状に満足していない人たちばかりであるということである。アンダーソン監督はこの登場人物たちの中で唯一ジミー・ゲイターに対してだけ、何のシンパシーも持っていないらしいが、そのほかの人物はいずれも善人に属するタイプである。しかしその苦悩は大きい。映画はこの登場人物たちを十分に掘り下げ、奥行きのあるドラマを生み出していく。例えば、アール・パートリッジ。病気の妻を見捨てて家を出たため、息子フランクは14歳で母親の看病をしなければならなくなった。それ以来音信不通となっていたが、パートリッジは死ぬ前に一目息子に会いたいと願う。現在の妻はパートリッジの財産目当てで結婚したのだが、死の床にあるパートリッジを見て初めて自分が夫を本当に愛していることに気づく。そして遺産はいらない、遺言を書き換えてくれと弁護士に頼むのだ。看護人フィル(フィリップ・シーモア・ホフマン)の努力でフランクの消息は分かり(セックス教団の教祖として有名になっていた)、フランクは父親の元を訪れる。過去の恨みから最初は罵詈雑言を投げつけるが、意識の薄れてきたパートリッジに対して、やがて「死ぬな、死なないでくれ」と泣き崩れることになる。
勤務中に拳銃をなくしてしまうジム(黒沢明「野良犬」がモデルという)、バーテンに愛されるために歯を矯正しようとするドニー、父親の期待に応えようとしてけなげに知識を蓄え続けるスタンリー、父親に裏切られてクスリに溺れているクローディア、その誰もが愛しく思えてくる。出色のキャラクター、出色のストーリー展開である。細部のリアルさも相当のもので、看護人フィルが雑貨店に届け物を頼むシーンには笑ってしまった。実にありそうな話なのである。
この映画のように複数のストーリーが同時進行するタイプをミステリではモジュラー型という。「ミステリマガジン」4月号はテレビのミステリを特集しているのだが、その中で1980年代からアメリカのミステリ番組はモジュラー型が多くなったという指摘があった。さまざまな事件が同時進行し、解決する事件もあれば解決しないままの事件もあるというリアルでスピーディーな描き方。刑事ドラマ「ヒル・ストリート・ブルース」を嚆矢として、今では「ER」などの普通のドラマでも取り入れられている手法であり、アメリカの視聴者にとって珍しいものではないだろう。僕はこうした状況も、まだ若い(撮影当時29歳の)アンダーソン監督に影響しているのではないかと思う。先に挙げたMTV的な映像と併せてアンダーソン監督のスタイルの基礎は実はそれほど深遠なものではなく、身近なところから発しているのかもしれない。もちろん、だからといってこの映画の価値が減じるわけではないことは強調しておこう。見応えのある人間ドラマを描くには人間に対する深い洞察力が必要なのである。
アカデミー助演賞にノミネートされたトム・クルーズは熱演だけれど、それ以上に僕はジュリアン・ムーアの演技にも感心した。涙がこんなに似合う女優とは思わなかった。
【データ】1999年 アメリカ 3時間7分 ニューラインシネマ提供 日本ヘラルド映画配給
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン 製作:ジョン・アセラー 製作総指揮:マイケル・デ・ルーカ リン・ハリス 主題歌:エイミー・マン 音楽:ジョン・ブライオン 撮影:ロバート・エルスウィット 衣装デザイン:マーク・ブリッジス プロダクション・デザイン:ウィリアム・アーノルド マーク・ブリッジス 特殊効果:ルー・カールッチ 視覚効果:ジョセフ・グロスバーグ
出演:トム・クルーズ ジェレミー・ブラックマン メリンダ・ディロン フィリップ・ベーカー・ホール フィリップ・シーモア・ホフマン ウィリアム・H・メイシー リッキー・ジェイ アルフレッド・モリーナ ジュリアン・ムーア ジョン・C・ライリー ジェイソン・ロバーズ マイケル・ボウエン メローラ・ウォルターズ エマニュエル・L・ジョンソン