007 消されたライセンス
007シリーズを必ず劇場で見るようになったのは「死ぬのは奴らだ」(1979)から。つまり、ロジャー・ムーアがボンドを演じるようになってからだ。けっこう好きなシリーズなのだが、どうも「ユア・アイズ・オンリー」(1981)あたりから印象が薄くなってきた。見ている間は楽しめるのだけれど、劇場を出た後に、筋をすっかり忘れてしまう。覚えているのは大がかりなアクションだけで、「オクトパシー」(1983)と「美しき獲物たち」(1985)などはかなり混ざっている。ティモシー・ダルトンが4代目のポンドとして登場した前作の「リビング・デイライツ」(1987)にしてもそれほど映画の作りが変わったとは思えなかった。ところが、ですね。シリーズ16作目の今回は面白かった。ここ数作の中では最も楽しめた。
何しろ、ボンドの相手役のキャリー・ロウェルが抜群なのだ。DEA(麻薬捜査局)の捜査官としてアクションも十分にこなすアクティブなヒロインである。きれいでグラマーだけど、足手まといにしかならなかった今までのボンドガールとは異なり、何度もボンドの危機を救う。飛行機の操縦から銃火器の取り扱いまで男に引けを取らず、しかも色っぽいというのが非常によろしい。
設定も変わっている。結婚したばかりの親友フェリックスとデラ夫婦が麻薬王サンチェスに襲われ、デラは死亡、フェリックスも重傷を負う。ボンドはその個人的な復讐のために任務を忘れ、殺しの許可証をMから取リ上げられることになる。だから今回のボンドの活躍は世のため人のため女王陛下のためではなく、個人の強い意志によるもの。アクションの切れ味がよくなり、残酷さが若干増したのはそのせいかもしれない。敵役に麻薬王を持ってきたのも、コロンビアのメデジン・カルテルが話題になっている折から、結果的にタイムリーなものとなっている。
毎度おなじみの大型アクションの中ではクライマックスのタンクローリーの追跡シーンが圧巻である。「レイダース」を思わせるボンドのタンクローリー乗っとり、カーチェイス、爆発炎上と息つく暇がない。ミサイルを避けるために片側車輪走行までやってしまう。あんなの初めて見た。元アクション監督でこのシリーズ4作目の監督となるジョン・グレンの演出も手なれたものになってきた。
ただ、ライセンスがないのにポンドの行動に何ら制約がないのはおかしいのではないか。ボンドはいつも通りの活躍を見せ、ちゃんとQの秘密兵器まで登場する。基本的な設定がまったく生かされていないのだ。麻薬組織に潜入したボンドがサンチェスからほとんど疑われないのも不自然である。組織の分裂を図るボンドの作戦も単純すぎるきらいがある。
まあ、こうしたご都合主義は今に始まったことではないし、このシリーズはファンタジーであり、ボンドはスーパー・ヒーローなのだから目くじらを立てても仕様がない。何よりもジョン・グレンが監督になって以来、アクションに大きな比重が置かれ、プロットは場面をつなぐだけの役割にとどまるようになった。エモーショナルな部分は型通りの描写に過ぎないが、それでも面白いのだからいいのだろう。アメリカでは「バットマン」と「リーサル・ウェポン2」に敗れて、興行的にいま一歩だったらしい。お盆か正月かに決まっていた公開時期を秋にしたのだから、日本ではヒットしてほしいものだ。もう公開前にワクワクする気分はなくなったが、終わらせるには惜しいシリーズだと思う。(1989年10月号)
【データ】1989年 イギリス 2時間13分
監督:ジョン・グレン 製作:アルバート・R・ブロッコリ 製作・脚本:マイケル・G・ウィルソン 原作:イアン・フレミング 脚本:リチャード・メイボーム 撮影:アレック・ミルズ 音楽:マイケル・ケイメン
出演:ティモシー・ダルトン キャリー・ローウェル ロバート・ダヴィ タリサ・ソト アンソニー・ザーブ ベニチオ・デル・トロ