ウルヴァリン X-MEN ZERO
途中に出てくる老夫婦のエピソードにしても、敵味方がコロコロ入れ替わる終盤の展開にしても、脚本の設定は悪くなかったが、いずれも描写不足で情感が高まっていかない。物語をドラマティックにするためのギャヴィン・フッド監督(「ツォツィ」)起用だったのではないかと思うが、フッド、アクションに比重を置きすぎている。あの老夫婦の息子はベトナム戦争で戦死したとか、同時テロの被害に遭ったとか、政府の陰謀の犠牲になったとかの設定を入れるだけでも、映画の印象は変わったはず。
ウルヴァリンことローガンの恋人ケイラ(リン・コリンズ)の運命が「X-MEN2」のジーン・グレイ(ファムケ・ヤンセン)ほど心を動かさないのは女優の格の違いと言うよりもフッドとブライアン・シンガーの演出力の差が出た結果なのだろう。映画のテンポが一直線かつ筋を追うのが精いっぱいで緩急がない。ストーリーテリングの未熟さによって有望な題材をうまく仕上げられなかった。非常に惜しい。
物語は1845年から始まる。なんだそれはX-MENたちの祖先の話かと思ったら、ウルヴァリン、この時代から生きているのだ。父親を殺されたジェームズ少年は怒りにまかせて手の甲から骨を突き出し、父親の仇を討つが、殺した相手から本当の父親だと名乗られる。ジェームズ(ヒュー・ジャックマン)には極めて高い再生能力があった。同じ能力を持ち、義理の兄と分かったビクター(リーヴ・シュレイバー)とともに南北戦争から第一次、第二次大戦、ベトナムなどの戦場を経験する場面がタイトルバックで描かれる。銃殺されても死なない2人の能力に目を付けた軍のストライカー(ダニー・ヒューストン)はミュータント部隊を組織し、アフリカで隕石から出来た超合金アダマンチウムを手に入れる。部隊の暴力に嫌気が差したジェームズは部隊を離れる。6年後、ローガンと名乗って恋人のケイラとともにカナダで暮らしているが、かつての隊員たちが殺される事件が起きる。ローガンにも魔の手が伸びてくる。
「X-MEN2」で描かれたようにウルヴァリンにアダマンチウムを埋め込んだのはストライカー。今回はそれがどういう経緯をたどったのか、ローガンがなぜウルヴァリンと名乗るようになったのかが分かる。ビクターからケイラを殺されたウルヴァリンはビクターと戦って敗れる。そこでストライカーの誘いを受け、アダマンチウムを埋め込むことになるのだ。物語はそこから二転三転し、X-MENの世界につながるようサイクロップスなど他のミュータントたちも登場してくる。エグゼビア教授(パトリック・スチュワート)も出て来てミュータントの子供たちを救うことになる。
上映時間1時間47分。この長さにしてはエピソードを詰め込みすぎな感じもある。もう少し長くなっても良いから、情感を高め、ドラマを盛り上げる方向で演出してもらいたかったものだ。既に続編が計画されているらしい。ギャヴィン・フッドが次の作品も監督するかどうかは分からないが、ブライアン・シンガーが第2作で第1作の汚名を晴らしたように、フッドにも挽回のチャンスが欲しいところだ。