ウインドトーカーズ
冒頭、ソロモン諸島の激戦の中で、主人公のジョー・エンダーズ(ニコラス・ケイジ)は命令を死守したことによって15人の仲間をすべて犠牲にしてしまう。自身も重傷を負い、精神的にも重い後遺症を負った。ジョーは片方の耳が聞こえなくなったことを隠して戦線に復帰。3万人の日本兵が死守するサイパンに行き、上官からナバホ族の暗号通信兵ベン・ヤージー(アダム・ビーチ)の護衛役を命じられる。というのが基本プロット。戦闘アクション場面は悪くないが、惜しいのは暗号の死守とジョーの再起という2つのテーマがあまり深く絡んでこないこと。いや、重い後遺症を負ったジョーをメインに描けば、よくある冒険小説のような話にはなっただろうし、ジョン・ウーの演出もそちらに比重が置いてある。しかし、そうなると、暗号通信兵の存在が単なるお飾りにすぎなくなるのである。せっかく暗号通信兵を出すのなら、なぜナバホ族が戦闘に参加しなければならなかったのか、その背景や人種差別まで含めて詳しく描く必要があっただろう。そのあたりがまったく足りない。題材の取り上げ方が中途半端なのである。ウーのタッチはどう見てもエンタテインメントなアクション志向。社会派に目移りせず、ストレートなアクション映画を目指した方が良かったのではないか。
ナバホの暗号は戦闘の結果を左右するので、ジョーは絶対に通信兵を敵の手に渡すなと上官から言い含められる。つまり、敵の捕虜になりそうになったら、殺せということ。ジョーの部隊にはもう一人、ナバホの暗号通信兵ホワイトホース(ロジャー・ウィリー)がいて、オックス(クリスチャン・スレーター)が護衛を務める。2組いるということは好対照の運命になることは容易に予想できる。守る側と守られる側の反発と友情の描写がややありきたりなのは目をつぶるにしても、中盤、危地に陥った部隊を救うため、ベンが日本人に似ているというだけの理由で、日本兵に扮して敵の無線を利用する場面のリアリティーのなさは致命的である。
一番の疑問は主人公の性格設定で、軍の命令に忠実に従って仲間を失ったジョーはその戦闘でもらった勲章を海に投げ捨てたと話す。それならば、軍の在り方への疑問も描くべきところだが、脚本にはそういう視点はなく、理不尽な命令を出した軍上層部への批判などかけらもない。ジョーが戦場に帰るのは死んだ仲間への負い目のためなのだが、戦場に帰って何をしたいのかよく分からない。仲間を殺した日本軍に復讐するのか、ただ命令に従っているだけなのか、戦場で死にたいのか。このあたりがあいまいである。日本軍への憎しみを前面に出せば分かりやすくなったと思う。そうしなかったのは多分に興行上の理由だろう。ニコラス・ケイジは頑張っているのだが、主人公のキャラクターがこういう状態では映画の牽引力に欠ける。「A.I.」の母親ことフランシス・オコーナーの役柄が本筋にまったく絡んでこないなど傷も目立ち、クランクインする前に脚本を練り直す必要があったと思う。
【データ】2002年 アメリカ 2時間14分 配給:20世紀フォックス
監督:ジョン・ウー 製作:ジョン・ウー テレンス・チャン 脚本:ジョン・ライス ジョー・バッター 撮影:ジェフリー・キンボール 音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:ニコラス・ケイジ アダム・ビーチ クリスチャン・スレーター ロジャー・ウィリー ピーター・ストーメア マーク・ラファロ マーティン・ヘンダーソン ブライアン・ヴァン・ホルト ノア・エメリッヒ フランシス・オコーナー