アイアン・ジャイアント
宇宙から来た巨大ロボットと少年の交流を描くSFアニメ。ロボットの迫力ある動きにまず驚き、その後、ストーリー展開に違和感を持った。ストーリーが単純すぎる(子供向けを意識した?)のを除けば、大変良くできた作品とは思うのだが、この違和感、どうしても気になる。それはロボットが超強力兵器ということに端を発している。このロボット、普段の外見はとろいが、戦闘モードになると、超未来的風貌に変わる。「ターミネーター2」の液体金属でできたロボットのように自己修復機能もあり、映画に登場したロボットの中では最も強力である。だから原爆で破壊されても元の姿に戻れる。なのに正義の味方とはっきりしているわけでもない。映画の中で自分が武器であることを知ってロボットが悩むシーンがあるが、宮部みゆき「クロスファイア」の主人公のように“装填された銃”のような存在なのである。怒りに我を忘れるのが怖いし、どこから来たとも分からない正体不明の気味の悪さが根底にあり、どうも見ていて落ち着かない。それが違和感(居心地の悪さ)につながっているようだ。
少年が家の近くの森でロボットに出会う。変電所の高圧電流に触れて感電していたのを助けたため、少年とロボットは親しくなる。政府機関は未確認飛行物体の調査を進めていて、ロボットを徐々に追いつめていく−というプロットを見れば、これが「E.T.」の巧みな換骨奪胎であることが分かる。少年の家庭に父親がいないという設定やロボットが空を飛べることが分かる場面の感動まで同じである。ストーリー展開もメカのデザインも宮崎駿ら日本アニメの影響が感じられるけれど、基本的には「E.T.」を踏襲したものだろう。しかし、「E.T.」では少年と宇宙人との交流の過程が(それがテーマそのものだったから)きめ細やかに描かれていたのに対し、この映画の場合は、極めて表面的描写にとどまる。深みがないのである。
1957年という核の時代を舞台にしているから、ロボットは核兵器のメタファーなのかもしれない。強力な武器は使い方を誤れば、怖い存在になる。そんなテーマは簡単に受け取れる。だが、この映画、その武器(核兵器)の使用を否定しているわけでもないのだ。少年と“核兵器”とは仲良くなってしまうのだから。居心地の悪さの原因はここにもある。いくら人工知能があったにしても武器と親しくなるような映画に僕は共感は持てない。日本製アニメの影響を受けるなら、その精神まで影響を受けて欲しいと思う。宮崎駿「風の谷のナウシカ」は巨神兵=核兵器の使用を全面的に否定し、「大きすぎる火は何も生まない」との主張をはっきり描いていた。「アイアン・ジャイアント」、そういうスタンスはあいまいなままである。
書いているうちに段々腹が立ってきた。こうなると、映画のアラばかり目立ってくる。ロボットが鉄を食べるなどという描写もそう。こんな描写、日本ではナンセンス漫画にしかない類のものである。まともに描かれては、あきれるほかない。監督のブラッド・バードはテレビ「シンプソンズ」などを手がけたアニメ界の才人らしい。クライマックスの畳みかけるようなアクションをはじめ、確かにアニメーティングの技術には感心する部分が多かったけれど、ちょっと観客をなめているのではないか。こんな表面的で底の浅い映画を傑作などと持ち上げてはいけない。
【データ】1999年 アメリカ 1時間26分 配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:ブラッド・バード 製作:アリソン・アーバーテ デス・マカナフ テッド・ヒューズの物語“THE IRON MAN”に基づく 脚本:ティム・マッカンリーズ 原案:ブラッド・バード 製作総指揮:ピート・タウンゼント 音楽:マイケル・カーメン アイアン・ジャイアント・デザイナー:ジョー・ジョンストン マーク・ホワイティング 糸数弘樹 テディ・T・ヤン スティーブン・マーコウスキー
声の出演(カッコ内は日本語吹き替え版):ジェニファー・アニストン(日高のり子) ハリー・コニック・Jr(井上和彦) ヴィン・ディーゼル(郷里大輔) クロリス・リーチマン(梅田貴公美) クリストファー・マクドナルド(大塚芳忠) ジョン・マホーニー(池田勝) イーライ・マリエンタール(進藤一宏) M・エメット・ウォルシュ(北村弘一)