It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

愛と哀しみの旅路

戦争中に強制キャンプに収容された日系アメリカ人たちを取り上げた社会派の映画かと思ったら、ラブストーリーの方に重点が置かれていて肩すかしをくった感じだ。「ミッドナイト・エクスプレス」や「ミシシッピー・バーニング」のアラン・パーカー監督作品としては物足りず、平凡な水準にとどまっていると言わねばならない。日系人の差別を描いたから、アカデミー賞でも無視されたのではと推測したが、この程度の出来では無視されて当然だった。

日系二世の娘リリー・カワムラ(タムリン・トミタ)と組合活動でニューヨークからロサンゼルスに流れ着いた男ジャック(デニス・クエイド)の出会いから結婚までに前半の1時間余りが費やされ、後半にようやく有名なマンザナール収容所が登場する。わずか6日間の準備期間の後に日系人たちが収容されたのは競馬場、そして2ヵ月後に砂漠の中にあるこの収容所へと移されるのだ。ここでの描写が、かなりおざなりである。カワムラ家の父親は映画館を経営していたが、FBIに内通していたとされ、収容所では日系人から冷たい仕打ちを受ける。息子の一人はアメリカのやり方に反発を感じ、天皇バンザイの国粋主義者となって日本に強制送還され、もう一人はアメリカの軍隊に入って戦死する。市民権のない母親は収容所の仕事をすることも許されない。このようにカワムラ家の悲惨は十分に描かれるが、収容所全体の様子があまり見えてこない。ここで日系人たちがどのような生活を送ったのかが、よく分からないのである。

そこが弱い。アラン・パーカーは日系人の差別など描くつもりはなかったのだろう。最初から差別を描きたかったならぱ、デニス・クエイドなど登場させなくても良かったはずである。クエイドの役割は、要するにアメリカの免罪符のようなものである。強制収容は確かに良くなかったが、すべてのアメリカ人が悪かったわけではない。クエイドのように日系人に味方したアメリカ人もいた…。その程度の意味しか持っていない。だが、笑止ではないか。強制収容の在り方は基本的にナチス・ドイツがやったユダヤ人の虐殺と変わりはない。巨悪の前では小さな善など、ほとんど意味がないのである。日系人の強制収容はここでは物語の背景でしかありえず、こんなレベルで差別がどうこう言うのはやめにしたいものである。

今年のアカデミー賞では、日系人監督の同じ題材を扱った作品「待ちわびる日々」がちゃんと短編ドキュメンタリー部門で受賞している。アメリカは差別の国(日本もそうである)だが、きちんと仕上がった作品に対しては評価を与えるだけの良識もまた持ち合わせている。それを認識せず、貴重な題材を(恐らく商業的な側面を考えて)つまらないラブストーリーにしかしなかったアラン・パーカーの愚かさは救いがたい。

出演者は頑張っている。タムリン・トミタは国辱的な「ベスト・キッド2」のころよりずっと色気が出てきたし、クエイドもそれほど演じどころのない役柄だが、好感が持てる。カワムラ一家の人々も日本語があまりうまくないのを除けば、いかにも当時の日系人らしい味を出していると思う。陰影に富んだ撮影と全編に日本の歌を多用したところもいい。映画の細部は決して悪くないのである。それだけに総体として、こんな風にしか映画化できなかったパーカーに対して腹が立ってしようがない。本当に、いったい何が描きたかったのだろうか。(1991年5月号)

1990年 アメリカ 2時間13分
監督:アラン・パーカー 製作:ロバート・F・コールズベリー 脚本:アラン・パーカー 撮影:マイケル・セラシン 音楽:ランディ・エデルマン
出演:デニス・クエイド タムリン・トミタ サブ・シモ シズコ・ホシノ スタン・エギ ロナルド・ヤマモト アケミ・ニシノ

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