国際市場で逢いましょう
父の世代の苦難の人生を描いて、韓国で観客動員歴代2位の大ヒットを記録した。監督のユン・ジェギュンは同じく大ヒットした「TSUNAMI ツナミ」の監督で、コメディ映画のキャリアがあることから、単にストレートな感動作ではなく、笑わせて胸を揺さぶる感情の起伏豊かなエンタテインメントに仕上げた。何よりも主人公のドクスを演じるファン・ジョンミンに拍手。韓国マフィアを描いたアクション「新しき世界」で人のいい兄貴分を演じたジョンミンはこの映画でも好感度の高い演技を見せる。
釜山の国際市場で小さな雑貨店を営む年老いたドクス(ファン・ジョンミン)の回想で映画は始まる。回想の起点は1950年12月、朝鮮戦争時の興南(フンナム)撤収だ。といっても興南がどこにあるのか、知らなかった。地図を見ると、今の北朝鮮東部、咸鏡南道(ハムギョンナムド)にある海に面した地域である。中国軍が攻めてきたため、多数の人々が海岸に押し寄せ、米軍の船に助けを求める。米軍は積んでいた車や武器を捨ててスペースを空け、避難民を受け入れた(ここで1週間に10万人が船で避難したそうだ)。ドクスは幼い妹のマクスンを背負い、船をよじ登るが、後ろから伸びてきた手につかまれてマクスンは海に落ちてしまう。マクスンを追って父親は船を降りる。ドクスに「今からはお前が家長だ。家族を守ってくれ」という言葉を残して。ドクスと母親、弟妹の一家は釜山の叔母を頼り、貧しい生活が始まる。
映画は韓国の現代史をたどりながら、ドクスが父親の言葉をかたくなに守り、家族の暮らしを支えるために、必死に働き続ける姿を描く。「チョコレート、ギブ・ミー」と米軍の車に駆け寄る子供たちの姿は終戦直後の日本と同じだ(これは後半のベトナムの場面でも描かれる)。1960年代、成長したドクスは親友のダルグ(オ・ダルス)とともに西ドイツの炭鉱に出稼ぎに行く。韓国はこの時代、外貨を稼ぐために国外への出稼ぎを奨励していた。70年代には戦火のベトナムで働く。そして1983年、KBSが制作した離散家族の再会番組が映画のクライマックスとなる。
行方不明だった家族を捜して再会させる番組はかつて日本でもあったが、韓国の場合、桁違いに不明者の数が多い。恐らく当時の実際の番組も交えているであろうこのシーンは喜びと悲しみの感情が爆発する。「国際市場で逢いましょう」という邦題はドクスが父親と交わした約束を指す。船乗りになる夢をあきらめて、家族に尽くし続けたドクスの姿は動乱の時代と相まって胸を打つ。今は偏屈な老人になっているドクスの生きてきた道のりを描くことで、ユン・ジェギュン監督は父親たちがどんな時代をいきてきたかを若い世代に伝えたかったのだろう。軍事政権時代の実情を伝えないなど細かい部分に瑕疵はあるけれども、強く印象に残る作品だ。