ケープ・フィアー
バーナード・ハーマンの音楽とソール・バスのタイトル! マーティン・スコセッシ初のスリラー映画はヒッチコックの装いをまとって登場した。スコセッシは出世作となった「タクシー・ドライバー」でもハーマンを起用していた(そして、それがハーマンの遺作となった)から、スリラーを撮る際にスリラー映画にたくさんのスコアを提供したハーマンを考えたのは当然といえば当然のことだったのだろう。しかし、いかにも60年代風の音楽を背景に描かれるのは、まぎれもないスコセッシの密度の濃い映像だ。スピルバーグ率いるアンブリンの映画とは思えない重たさがある。
14年前、凶悪犯を刑務所に送った弁護士サム・ボーデン(ニック・ノルティ)の一家が出所した犯人マックス(ロバート・デ・二ー口)から付け狙われるという話である。犯行が狂暴すぎたため、サムは裁判でマックスに有利な証拠を隠滅した。マックスはそれを悟り、復讐を誓ったのである。文字も読めなかったマックスは刑務所の中で知識をたくわえている。このため復讐のやり方も法律すれすれの巧妙なものとして始まる。ボーデン家の周辺に出没し、愛犬を殺し、サムの愛人に重傷を負わせ、娘に近付く。恐怖を覚えたサムは私立探偵を雇い、マックスを痛め付けようとするが、それをたてに取られて弁護士資格剥脱の危機にさらされる。マックスは遂にサムの家にも侵入、探偵とメイドを殺す。一家は船でジャングルのようなケープ・フィアーに逃れるが、そこにもマックスは現れた。クライマックスは船内での壮絶なやりとりとなる。全身火だるまになっても死なず、執念深いマックスの在り方はホラー映画の怪物を思わせる。こういう最近のパターンとなってしまったのはちょっと損な設定で、一工夫欲しかったところだ。だが、刺青だらけの野獣のような男を演じるデ・二ー口には凄みがある。不安におののくノルティとヒステリー気味の妻役ジェシカ・ラングもいい。
演出におけるヒッチコックの影響は例えば、不安感を煽る斜めの構図やパン・フォーカスのような場面(恐らく合成と思う)にも感じられる。しかし、ヒッチコックが中身よりもストーリーテリングのための技術に心を砕いたのに対して、スコセッシは中身を重視している。それが大きな違いだ。キネ旬1月上旬号でスコセッシは「アートを追求すると、客が来なくなってしまう」と語り、エンタテインメントに徹したとしているが、スコセッシはアメリカ映画では珍しいアート系の作家であるから、本人はそのつもりでも一般的な意味でのエンタテインメントに激することなどできないのである。映画化する際にスコセッシは宗教的なイメージと官能的なタッチを取り入れたという。サムの家族の内情もただの幸福なものではない。「第三の男」や「七人の侍」などエンタテインメントを追求した映画が優れた芸術性をも備えた場合とは異なり、「ケープ・フィアー」は当初からそうした映画の方向性と逆にある。アート系の作家がスリラーやスペクタクルに向かないのは映画に意味を持たせようとするからで、アンドレイ・コンチャロフスキー「暴走機関車」の失敗もそこにあった。「ケープ・フイアー」は十分面白いが、スコセッシの資質には合わない映画になっている。
原作はA級になりきれなかったミステリ作家の故ジョン・D・マクドナルド。1962年にJ・リー・トンプソン監督が既に「恐怖の岬」(原題は同じ)として映画化しており、今回の映画はリメイクである。オリジナルでは犯人役をジェームズ・ミッチャム、弁護士をグレゴリー・ペックが演じた。この二人は今回も特別出演している。ついでに書いておくと、アメリカ南部のケープ・フィアーは「ワイルド・アット・ハート」の舞台にもなっていた。(1992年2月号)
【データ】1991年 アメリカ 2時間8分 監督:マーティン・スコセッシ 製作総指揮:キャスリーン・ケネディ フランク・マーシャル 製作:バーバラ・デ・フィーナ 原作:ジョン・D・マクドナルド 脚本:ウェズリー・ストリック 撮影:フレディ・フランシス 音楽:エルマー・ナーンスタイン
出演:ロバート・デ・ニーロ ニック・ノルティ ジェシカ・ラング ジュリエット・ルイス グレゴリー・ペック