It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

ゴースト ニューヨークの幻

名曲「アンチェインド・メロディ」が一気に高鳴るクライマックスで場内のあちこちからすすり泣きが聞こえてくる。デミ・ムーア、パトリック・スウェイジ主演の「ゴースト ニューヨークの幻」は極めてエモーショナルな高まりを持つ作品だ。印象はクラシック。幽霊になった男と恋人との古風な悲恋話をユーモアを交えながら情感たっぷりに描き、「ニューヨーク・ゴースト・ストーリー」とも言うべきファンタジーとなった。構成は単純で技術的なうまさもそれほどないが、涙を流し続けるムーアが美しく魅力的なために、まあいいやという気になってくる。「フィールド・オブ・ドリームス」「オールウェイズ」そして「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー2」と今年は優しい幽霊の当たり年のようだ。

監督のジェリー・ザッカーはジョークを寄せ集めただけの映画「ケンタッキー・フライド・ムービー」から出発した人。ジョン・ランディスがあの映画の後、飛躍的に伸びて傑作コメディを連発したのとは対照的に「フライングハイ」など同工異曲の映画を撮り続けた。80年代にアメリカのコメディが著しく低下したのは、この監督グループ(ZAZと略称される3兄弟)の作品と「ポリス・アカデミー」シリーズがヒットしたせいである。

今回の「ゴースト」が成功したのは、アメリカ映画(というよりハリウッド映画)の伝統的なシチュエーション・コメディやラブストーリーの定石を踏んでいるからにほかならない。ラブストーリーは愛する二人の間に障害がなければ、成立しないジャンルである。

「ある愛の詩」では女が白血病になり、「ある日どこかで」は時が二人を隔てた。障害の度合いが大きいほどドラマティックになる。「ゴースト」では男が死んで幽霊になってしまう。ずっと触れ合っていたいのに、女に男の姿は見えず、男が触れようと思っても突き抜けてしまう。映画はこの触れあうことができないという根本的な障害を発展させて物語を作り上げている。男がどうやって女に連絡を取り、どうやって危険から守るか。それがコメディになり、サスペンスになってくるわけだ。

だから、男が幽霊として当たり前の能力を身につけていく過程の丁寧な描き方に必然性がある。最初、戸惑っていた男はドアをすり抜けたり、物を動かすことができるようになる。男が殺されたのは、勤めている銀行の不正を見付けそうになったからで、その秘密を握ると思われた女にも危険が迫る。物を動かす能力(普通の人間から見れば、この現象はポルターガイストだ)は彼女を守りたい一心から生まれるのである。有り体に言えば、愛の力。そういうドラマを気恥ずかしくなく、ロマンティックに描いてあり、大変分かりやすい。オールディーズが目いっぱいドラマを盛り上げ、おまけにラストは光り輝くスウェイジとムーアのキス・シーンで締め括ってある。今どき珍しい大甘のラブストーリーだが、圧倒的な大衆性を備えているのだ。

コメディ・リリーフのウーピー・コールドバーグがケッサクである。いんちき霊媒師として生活しているのだが、「祖母と母は幽霊の声を聞いていた」という血筋の良さ(?)から二人の連絡係を強制的に務めさせられることになる。映画の成功の半分ぐらいはこの人のお陰だろう。そしてボス・フイルムが担当したSFXも地味だけれどもよくできている。悪人が死んだ時に現れる黒い影(死神)は何となく「ゴーストバスターズ」のSFXに似ていて笑ってしまった。(1990年11・12月合併号)

【データ】1990年 アメリカ 2時間7分
監督:ジェリー・ザッカー 製作:ハワード・W・コッチ 脚本:ブルース・ジョエル・ルービン 撮影:アダム・グリーンバーグ 音楽:モーリス・ジャール
出演:パトリック・スウェイジ デミ・ムーア ウーピー・ゴールドバーグ リック・アビルス トニー・ゴールドウィン

TOP