バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生
テレビドラマ「ウォーキング・デッド」シリーズでマギーを演じるローレン・コーハンが登場すると聞いたので楽しみに見たら、なんとタイトルバックでセリフもないまま殺されてしまう。テレビで主役級を演じても映画ではこの程度の扱いなのだ。コーハンの役柄はバットマンことブルース・ウェインの母親マーサ。短い時間しかスクリーンに映らないのは残念だが、後半、この役はとても重要になってくる。
前作「マン・オブ・スティール」でのスーパーマンとゾッド将軍一味のビルを破壊しながらの戦いでメトロポリスは大きな被害を受けた。その場に居合わせたブルース・ウェイン(ベン・アフレック)は会社の部下が両足を鉄骨に挟まれたのを助け、多数の犠牲者を出したスーパーマン(ヘンリー・カビル)に憎しみの視線を向ける。「ガメラ3 邪神覚醒」での「わたしはガメラを許さない」と同じく「わたしはスーパーマンを許さない」という感じである。スーパーマンの行為は社会的にも問題になる。加えてアフリカでの傭兵殺害の疑惑も向けられ、上院議員のフィンチ(ホリー・ハンター)に追及されてスーパーマンは苦しい立場に陥る。ウェインはスーパーマンを倒すために策を練る。スーパーマンも犯罪者に焼きごてを押すバットマンのやり方に嫌悪を感じる。2人の対立が深まっていく中、レックス・ルーサー(ジェシー・アイゼンバーグ)が密かに暗躍していた。
スーパーマンとバットマンは戦うことになるが、それを決定的にしたのはルーサーのある策略。それならば、最初からそれをやっておけば良かったのに、これまでの前置きはなんだったのさ、と思えてしまうのは脚本の出来があまり良くないからだろう。それでもこれはザック・スナイダー監督作の中では最も面白く仕上がっていると思えた。脚本に1点だけ感心したところがあったのだ。それはルーサーの策略に関する部分で、詳細は省くが、ウェインの不当に殺された両親への思いと繋がっている。
加えてワンダーウーマンの存在がある。1970年代のテレビドラマで人気を集めたワンダーウーマンが映画に登場するのは初めて。演じるガル・ガドットはテレビ版のリンダ・カーターとは違ってスリムな長身だが、あのコスチュームで登場する場面は颯爽としていて良かった。
ザック・スナイダーはエモーショナルな演出ができないに等しい。前作で死んだケヴィン・コスナーの登場シーンなどしんみりさせながら正義の意味を伝える名シーンになるべきところが、そうはなりきれていない。アクションシーンも一本調子になりがち。「マン・オブ・スティール」は最初は感心して見ていたのに、同じような場面ばかりなのでそのうち飽きてしまった。今回はそれよりもましだったが、まだまだ描写の強弱をつけた方がより効果的になると思う。