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ペイ・フォワード 可能の王国

「ペイ・フォワード 可能の王国」

「でも中にはとてもおくびょうな人たちもいる。変化が怖いんだ。本当は世界は思ったほどクソじゃない。だけど日々の暮らしに慣れきった人たちは、良くない事もなかなか変えられない。だからあきらめる。でもあきらめたら、それは負けなんだ」。ラスト近く、善意の先贈りを始めた少年トレバー(ハーレイ・ジョエル・オスメント)が記者(ジェイ・モアー)のインタビューに答える場面。まるでフランク・キャプラ映画のジェームズ・スチュアートのようなセリフである。このまま終わってしまえば、映画はキャプラ映画のような心地良さを残しただろう。しかし、この後に続く場面がぶち壊しにしてしまった。なぜ、こんなエピソードを入れたのか、僕には理解できない。観客を泣かせるためとしか思えないこのラストの処理、まったくあざとい。この映画、ケヴィン・スペイシーとヘレン・ハントの中年の恐る恐るといった感じの愛や家庭の悲劇を描いたシリアスな部分がとてもいいのだが、肝心のペイ・フォワードの部分で安易な手法を用いてしまった。これがアメリカでの不評の一因ではないか。

善意の先贈りは新任の社会科教師シモネット(ケヴィン・スペイシー)の「世界を変える方法を考えろ」との課題からトレバーが考えたアイデア。1人が3人に善意を贈る。その3人はそれぞれ別の3人に同じように善意を贈る。これが広がっていけば、もっとましな世界が生まれるというわけ。トレバーはまずホームレスの男(ジェームズ・カヴィーゼル)に食事と服を買う金を与える。次にシモネット先生と母親アーリーン(ヘレン・ハント)を何とか結びつけようとする。シモネットは顔にやけどの跡を持ち、自分の生活を完全にコントロールしている男。アーリーンは暴力を振るった夫(ジョン・ボン・ジョヴィ)とのひどい生活のためアル中になっている。この2人の描写がいい。2人とも恵まれない家庭に育ったことが現在の不幸な境遇の原因となっているようだ。他人が自分の領域に入ってくることを拒んでいたシモネットが徐々に心を開いていく過程が好ましく、「アメリカン・ビューティー」のようにアメリカの家庭の悲劇を浮かび上がらせてもいる。

このままこの2人の愛と新たな家庭の誕生を描いただけで終わっても良かったと思う。タイトルとはあまり関係ないけれど、タイトルと中身の関連が薄い映画はいくらでもある。しかし、問題の結末がやってくる。この描写をちょっと別のものに変えれば、映画の印象は随分違ったものになったはずなのに、まったく残念。また、トレバーが知らないところで広がっていたペイ・フォワードの描写もちょっと安易ではある。単純に描写不足のためだが、ヘレン・ハントと母親(アンジー・ディキンソン)の和解もよく分からない。過去にどんな確執があったのか、詳しく描かれていないからだ。

ミミ・レダーの演出は細部の描写に冴えを見せるが、映画をまとめていく過程で計算違いがあったようだ。原作がどういうものか知らないけれど、原作を大きく変えてでも映画の結末には気を配る必要があった。まるで「フィールド・オブ・ドリームス」をパクったようなラスト・ショットも減点対象である。正義と理想を信じて奔走する青年を描き続けたキャプラの映画は「世の中そんなにうまくいかないよ」ということが分かってはいても希望を与えられた。この映画の結末はハリウッド的ハッピーエンドを回避するためだったのかもしれない。しかし、それではやはり映画としては機能しないのである。キャプラの単純だが、力強い映画の方が好ましいのである。

【データ】2000年 アメリカ 2時間3分 配給:ワーナー・ブラザース
監督:ミミ・レダー 製作:スティーブン・ルーサー ピーター・エイブラハムズ ロバート・L・レビー 製作総指揮:メアリー・マクラグレン 原作:キャサリン・ライアン・ハイド 脚本:レスリー・ディクソン 撮影:オリバー・ステイプルトン 美術:レスリー・ディリー 音楽:トーマス・ニューマン 衣装:レネー・アーリック・カルファス
出演:ケヴィン・スペイシー ヘレン・ハント ハーレイ・ジョエル・オスメント ジェイ・モアー ジェイムズ・カヴィーゼル ジョン・ボン・ジョヴィ アンジー・ディキンソン

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