ハリー・ポッターと賢者の石
J・K・ローリングの世界的ベストセラーを「クリス・コロンバスが監督した。SFXは満載で主役のハリーを演じるダニエル・ラドクリフや、おしゃまな優等生ハーマイオニー役のエマ・ワトソン、ホグワーツ魔法魔術学校のダンブルドア校長役リチャード・ハリス(ほとんど素顔見えず)ら出演者も申し分ない。しかし、映画はいまいち面白さに欠ける。コロンバスも脚本のスティーブ・クローブス(「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」)も原作を忠実に映画化することに重点を置き、映画ならではの視点を取り入れたり、物語の再構築をしようという気はさらさらなかったようだ。1億部を超すベストセラーだから読者の原作に対するイメージを大切にしたのかもしれないが、原作を過不足なくまとめただけではダイジェストにしかならないのは自明のことだろう。もっとポイントを絞り込む必要があった。魔法学校の内部を描く中盤がやや単調で、2時間32分を長く感じるのはひとえにこの映画製作の姿勢から来るものである。
ハリーは両親を交通事故でなくし、意地悪な叔父・叔母、従兄弟と一緒に暮らす。部屋は階段下の物置。プレゼントなんかもらったこともない。だが、ハリーには隠された力があった。ということは冒頭にダンブルドア校長らが幼いハリーを叔母夫婦の家に預ける場面があるので、観客にはすべて分かっている。隠された力に徐々に目覚めていく過程を描けば、SFにもなりうるが、映画は(原作も)ファンタジーなのでそうした部分はあっさりしている。ハリーの11歳の誕生日にホグワーツ魔法魔術学校から招待状が届き、入学を許される。両親は交通事故ではなく、悪い魔法使いヴォルデモートと戦って死んだのだった。
この悪い魔法使いとの戦いをメインに描くのならば、もっと面白くなったのかもしれない。ところが、第1作の哀しさ、魔法学校の授業など背景までも描かなければならない。別にそれぞれの描写が悪いわけでもないのだが、本筋から少し離れたこういう描写はどうも面白くないのである。ハリーが授業を通じて能力を高めるわけでもない。ストーリーにも意外性はなく、悪役がだれかはすぐに分かる。この程度の物語を面白がっていいのかどうか。
SFXに関して言えば、魔法のほうきの描写は「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」に登場したスピーダー・バイクの発展形だろう。魔法のほうきが多数登場するゲーム・クィディッチのシーンはスピーディーでよくできているが、それだけのこと。トロール(「となりのトトロ」の元ネタ)やチェスのシーンも感心するほどのものではなかった。強いエモーションに裏打ちされていないので、SFXがただの見せ物なのである。
生活保護を受けながら、この原作を書いたというJ・K・ローリングには現実逃避の気持ちが少なからずあっただろう。物語というのは多かれ少なかれそうしたものである。小説や映画は、今の自分はホントの自分じゃないはずだという理想と現実のギャップから逃れる手段として有効なのである。だから「スター・ウォーズ」や「マトリックス」や「ダーク・シティ」などなどSFでは毎度おなじみの、不遇の生活を送る主人公が実は世界を救うヒーロー(選ばれし者)だったという設定は観客(読者)の願望そのものといっていい。問題はヒーローが覚醒した後の活躍にあるわけで、この映画の場合、ハリーの活躍が物足りないものに終わっている。個人的な好みの問題だが、魔法(ファンタジー)ではなく、超能力(SF)だったらもう少し楽しめたのかもしれない。
【データ】2001年 アメリカ 2時間32分 配給:ワーナー・ブラザース
監督:クリス・コロンバス 製作総指揮:クリス・コロンバス マーク・ラドクリフ マイケル・バーナサン ダンカン・ヘンダーソン 製作:デヴィッド・ヘイマン 原作:J・K・ローリング 脚本:スティーブ・クローブス 撮影:ジョン・シール 音楽:ジョン・ウィリアムズ 美術:スチュアート・クレイグ 視覚効果監修:ロブ・レガート
出演:ダニエル・ラドクリフ ルパート・グリント エマ・ワトソン ジョン・クリーズ ロビー・コルトレーン ウォーウィック・デイビス リチャード・グリフィス リチャード・ハリス イアン・ハート ジョン・ハート アラン・リックマン フィオナ・ショー マギー・スミス ジュリー・ウォルターズ ゾーイ・ワナメーカー トム・フェルトン ハリー・メリング デヴィッド・ブラッドリー