ハンニバル
クラリスの終盤の設定を除けば、原作にほぼ忠実な映画化となっている。もちろん映画の常で、原作のすべてを映像化しているわけではない。レクターの少年時代の回想(なぜカニバリズムに傾倒したのかが分かる)などはカットしてあるし、その他多くの部分の枝葉末節を取り払ってある。だから原作を読んだ人にとっては、これは小説のダイジェストにしか過ぎない。原作に比べて描写不足、説明不足の場面があり、ストーリーはこれでも分かるけれども、物語を語る上で効果的かどうかは極めて疑問。これほど原作のストーリーを踏襲した展開だと、よく言う“小説と映画は別物”という言い方も当てはまらないだろう。タイトルバックに明らかなように今回、リドリー・スコットはヨーロッパ映画のタッチを取り入れている。例によって映像の面では申し分ないし、レクターを演じるアンソニー・ホプキンス、ジョディ・フォスターに代わってクラリスを演じるジュリアン・ムーア、久しぶりのジャンカルロ・ジャンニーニなど出演者も悪くないのだけれど、物足りなさは残ってしまう。原作自体「羊たちの沈黙」よりは劣るから、映画もまた前作を超えることはできなかった。
映画はハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス)に復讐心を燃やす富豪メイスン・ヴァージャー(タイトルクレジットには出てこないが、ゲイリー・オールドマン)の場面から始まる。ヴァージャーはレクターの手にかかった10人の犠牲者の中でただ一人の生き残り。薬を呑まされ自分で顔の皮を剥がして犬に食わせられたため、まぶたが閉じないひどい顔になっている(このメイクは凄い)。レクターの居場所を突き止めたヴァージャーが復讐の準備を進めるところでタイトル。これも含めて導入部のタッチはヨーロッパ映画調で心地よい。バッファロー・ビル事件で名を挙げたクラリス・スターリング(ジュリアン・ムーア)は麻薬売人の捜査中に赤ん坊を抱いた女を撃ち殺し、非難の的にさらされる。上司のポール・クレンドラー(レイ・リオッタ)は些細なことでクラリスにいいがかりを付けてくる。
そのころ、フィレンツェにいるレクターはフェル博士と名乗り、カッポーニ宮の司書を務めていた。前任者が不審な失踪を遂げたことから刑事リナルド・パッツィ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)はフェル博士に会い、手配中のレクターではないかとの疑いを抱く。ヴァージャーが多額の懸賞金をかけていることを知り、レクターの身柄を拘束しようとする。
原作との一番の違いはクラリスで、原作では一般的な言い方をすれば、クラリスはダークサイドに引き込まれてしまう。メジャーなヒットを狙うハリウッド映画としてはここは当然変えざるを得ないのだが、それによってキャラクターと物語の整合性は取れなくなった感がある。原作の第6部「長いスプーン」に当たる場面、言うまでもなく晩餐の場面は映像的にはSFXを使い、ほぼ想像通りの出来に仕上がっているが、必然性があまり感じられないのである。クレンドラーがああいう運命に遭うほどひどい人物に描けていないし、クラリスの反応もまた普通のものになってしまった。残るは猟奇性のみということになる。また、ヴァージャーが裏切られる場面もそこまでの裏切る人物のキャラが希薄なので唐突なものに思える。原作以上の驚きもなく、映画ならではのシーンも見あたらないのでは、映画としてのメリットはないと思う。
【データ】2001年 アメリカ 2時間11分
監督:リドリー・スコット 原作:トマス・ハリス 脚本:デヴィッド・マメット スティーブン・ザイリアン 製作:ディノ・デ・ラウレンティス 撮影:ジョン・マシソン 音楽:ハンス・ジマー
出演:アンソニー・ホプキンス ジュリアン・ムーア ジャンカルロ・ジャンニーニ レイ・リオッタ フランキー・R・フェイゾン フランチェスカ・ネリ ヘイゼル・グッドマン ゲイリー・オールドマン