ROOKIES 卒業
卒業式後に野球部の生徒1人1人が監督の川藤に向かって感謝の言葉を次々に言うシーンがうんざりするほどダサイ。だめ押しのだめ押しのだめ押し的なおまけのシーンで、セリフもありきたり。そこまでのドラマもありきたり、かつダイジェストみたいな内容だなと思って見ていたが、最後まで感心した部分は皆無だった。よくこんな粗雑な脚本で映画化にOKが出たものだと思う。題材自体は良いのにうまく生かせなかった、というか脚本家に話を作る才能がなかったのだろう。おまけに演出も凡庸。映像で語るシーンがなく、言葉でしか表現していないのは映像で語る才能が欠落しているからなのに違いない。だからテレビ版の美点だった出演者たちの熱さが効果を上げていない。どこを切っても平凡のかたまりのような凡作で、こういうお手軽な映画に1800円も払うのはバカバカしいことこの上ない。脚本のいずみ吉紘、監督の平川雄一朗ともテレビ版のスタッフだが、テレビをそのままのスケールで映画化していると、いくら日本映画が好調といっても観客に飽きられてしまうだろう。
森田まさのりのベストセラー・コミックをドラマ化したテレビ版は最終回だけじっくり見た。それがなかなか面白かったので、最初から見てれば良かったかなとちょっと後悔した。再放送時にちらちら見たが、佐藤隆太をはじめとする出演者たちの熱さに好感を持った。映画は二子玉川学園高校(ニコガク)野球部の新入生2人のエピソードと夏の甲子園の東東京予選、そして卒業式までを描く。この構成がまず無茶である。2時間17分と長い上映時間にもかかわらず、話を描き切れていないのだ。上映時間が限られる映画には省略の美学があるが、この映画の東東京予選の描き方、省略の仕方には美学のかけらも工夫もない。単にダイジェスト的に見せているだけだ。ここは安仁屋恵壹(市原隼人)と相手チームの投手との因縁にもっと話を絞った方が良かっただろう。目指したものは野球映画ではなかったらしいが、予定調和的に勝っていくニコガク野球部にリアリティはまったくない。卒業式のシーンなどは長すぎるエピローグとしか思えず、甲子園のベンチを出て行く選手たちのストップモーションで終わっていれば、まだましだっただろう。
「夢にときめけ、明日にきらめけ」などポンポン出てくる熱い言葉は、繰り返されるうちに言葉だけが軽く軽く浮揚しているだけに思えてくる。熱さを表現するには言葉だけではなく、それを裏打ちする熱いドラマが必要だ。
キネ旬5月下旬号のプロデューサーと監督のインタビューによれば、テレビドラマ製作時に意識したのは「スクール・ウォーズ」だったそうだ。僕はこのドラマも見ていないが、映画版「スクール・ウォーズ HERO」(2004年)には感心した。ベテランの関本郁夫監督が過不足のない描写できっちりとした熱血青春映画に仕上げていた。平川監督は「ROOKIES 卒業」が映画3作目だが、どうもこの映画の失敗は脚本家も監督も映画のリズムに慣れていないことが原因にあったのではないかと思われてならない。