るろうに剣心 伝説の最期編
「京都大火編」と合わせた前後編についてはアクション時代劇に革新をもたらすものとして高く評価する。個別に見れば、「伝説の最期編」は「京都大火編」より少し落ちる仕上がりと言わざるを得ない。なぜか。大きな要因はクライマックスのアクション構成の違いにある。
「京都大火編」のクライマックスでは京都のあちこちでさまざまなアクションが繰り広げられたのに対して、今回は軍艦の中だけに限られる。谷垣健治が演出したスピード感あふれるアクション自体の出来は良いのだが、それが映画のダイナミズムに結びついていかないのだ。例えば、「七人の侍」を思い起こせば、よく分かる。クライマックスを支えるアクションに空間的な広がりを加えると、ダイナミックな映画になり得る。それがなかったのは構成上の惜しい計算ミスと言うべきか。
もう一つ、アクションにエモーションが裏付けされていないのも弱い。激しいアクションに説得力を持たせるには主人公の激しい感情が必要だ。「京都大火編」にあったさまざまな登場人物のエモーションのほとばしりがないのは、前作で描いたことを繰り返さず、決着を付ける話に絞ったためだろうが、残念でならない。観客は前作のエモーションを携えて劇場に来るわけではない。主人公の怒りの爆発のアクションとして観客に共感を持ってもらうには、もう一度エモーションを高めるシーンを入れておいた方が良かった。
そういう残念な点があるにしても、「るろうに剣心」の3作が邦画アクションの新たな地平を切り開いたのは間違いない。これが単発の作品とならないことをアクション映画ファンの多くのは望んでいると思う。単発では意味が薄れる。これに続けて谷垣健治のアクション演出の切れ味を生かす映画を誰かまた撮ってほしい。