It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

浪人街

マキノ正博(現雅広)監督が昭和3年、20歳の時に作った「浪人街/第1話・美しき獲物」はキネマ旬報の1位にランクされている。この年、マキノ監督の映画は「崇禅寺馬場」「蹴合鶏」の合わせて3本がベストテン内に入っており、翌4年「首の座」で1位に輝いた。20歳そこそこで、こうした高い評価を得るのは前代未聞のことではないか。その「浪人街」はもちろんサイレント。プレスシートによると、“江戸末期の浅草裏界隈を生きるアナーキーな浪人たちの人間模様をリアルに描いた"ということだが、完全なフイルムが残っていず、現在では見る ことができない。映画評論家の白井佳夫は「時代劇の革新的ニューシネマだった」と書いている。クライマックスの大立ち回りをメーンにした痛快作だったようだ。

さて、「日本映画の父・牧野省三追悼60周年記念作品」と銘打たれた黒木和雄監督版の「浪人街」はマキノ作品を基にはしているものの、単純な娯楽作とはなっていない。いや、マキノ作品もまた当時の不況を反映した要素があり、深い含蓄もあったとされているのだけれども、少なくとも登場人物たちの造形は娯楽映画のそれを踏襲していたに違いない(と思う)。黒木版の登場人物たちは単純な正義の味方ではない。四人の浪人たちは誰一人正義のために立ち上がるわけではなく、自分の利益のために動くのである。彼らはさまざまなエクスキューズを持っている。仕官のためには仲間を裏切るし、金にならないことはしようとしない。元の作品はとりあえず勧善懲悪として収斂していったはずで、このリメイクも結果的にはそうなるのだが、それに至るまでに、かなり揺れ動くのである。娯楽作 と非娯楽作の間の揺れ動き、と言えぱいいのだろうか。「龍馬暗殺」の黒木和雄らしい性格設定である。

だが、こちらが感動するのは、やはり悪徳旗本120人に敢然と立ち向かう浪人たちの姿なのである。子恋いの森で旗本たちに中裂きの刑に処せられるお新(樋口可南子)を助けるために、十五両で命を買われた元恋人の荒牧源内(原田芳雄)がまず立ち上がり、お新に思いを寄せる母衣権兵衛(石橋蓮司)が白装束で駆け付ける。そして仕官のために必要な百両をやっと用意したにもかかわらず、土居孫左衛門(田中邦衛)も鎧に身を包み、馬にまたがって助けに向かうのだ。ラスト17分間にわたって線り広げられる殺陣は、決して際立ってはいない。むしろ、ヘタな部類に属するのだが、それまでの過程があるだけに熱い情動に突き動かされる。絡局、この場面で映画はさまざまなエクスキューズを切り捨て、単純な娯楽映画へと突き進むのである。

黒木和雄は「祭りの準備」や「夕暮れまで」と同じように赤い色を画面にちりばめる。代表されるのは彼岸花だが、その赤の色にどんな意味を持たせようと、あるいはどんなに意味がなかろうと、元の物語の力強さは新たな設定をすべて蹴散らしてしまう。ストーリーを停滞させるエピソードなど無用である。この映画にもっとスピード感があれば、と本当に残念に思わずにはいられない。まったく昔の時代劇調のタイトル文字にしたのだから、内容も徹底してエンタテインメントを追求した方が良かったのではないか。もっとも、それをやってしまったら、黒木和雄が時代劇を撮る意味がなくなってしまうのである。キネ句2月下旬号によれば、黒木和雄は「連帯を求めて孤立を恐れず」という全共闘のモチーフをこの作品に込めたのだという。連帯を求めたためかどうかは知らないが、浪人たちの姿は確かに孤立を恐れてはいなかった。

出演者は総じて良い。特に一膳飯屋「まる太」の主人を演じる水島道太郎の温かみは紋切り型ではあるけれども、人情時代劇っぽくて好きである。(1990年9月号)

【データ】1990年 1時間58分 山田洋行ライトヴィジョン=松竹=日本テレビ
監督:黒木和雄 原作:山上伊太郎 脚本:笠原和夫 撮影:高岩仁 音楽:松村禎三
出演:原田芳雄 石橋連司 樋口可南子 勝新太郎 田中邦衛 杉田かおる 伊佐山ひろ子 中尾彬 水島道太郎 佐藤慶 長門裕之

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