It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

式部物語

熊井啓監督の作品はそれほど好きではないのだが、この映画にはとても感動した。その感動がどこからくるのか具体的に説明するのは難しい。俳優の演技、撮影、ストーリー、音楽など諸々のものが一体となってこちらに迫ってくる。言わば高い芸術性に感動した、と言えば良いのだろうか。モントリオール映画祭での最優秀芸術貢献賞受賞(準グランプリ)は、だから極めて納得できることなのである。熊井啓の知的な演出は最後までまったく揺るかず、緊張感が持続している。今年の日本映画ではもちろんベストである(本当なら、洋画も含めて今年のベストと言いたいところだが、まだ言わない。バーホーベンの「トータル・リコール」があるからだ)

冒頭の阿蘇の山々を映したショットから異様な迫力がある。平原を巡礼姿の親子が歩いてきて、寝転んでいる男を見つける。この男が主人公の豊市(奥田瑛二)。豊市は1年前、勤めていた工場の火事で一酸化炭素中毒となり、知能障害を起こしている。話し方もまるで幼児のようだ。「蝉ん鳴きよるぱい!」と発作を起こした豊市を母親の伊佐(香川京子)が家に連れて帰る。豊市には妻のてるえ(原田美枝子)がいるが、豊市がおかしくなってから、他の男と付き合っているらしい。家庭は崩壊寸前だ。重苦しい家族の葛藤が描かれ、「死の棘」と同じような話なのかと思うと、映画はまったく違う方向に展開していく。再び発作を起こし、外ヘ飛び出した豊市はある寺で美しい女性に出会う。この女性は和泉教会という新興宗教の教組で68代目和泉式部の智修尼(岸恵子)。巡礼姿の親子もこの教団に属していた。智修尼に魅せられた豊市は伊佐の説得を聞かず、伊佐もまた教団に同行することになる…。

社会的な告発も含んでいた原作の戯曲(秋元松代「かさぶた式部考」)を熊井啓は母親の愛、妻の愛、恋愛(性愛)の三つに絞って映画化したのだという。その意図は成功していると思う。教団の人々は皆何らかの不幸を背負っており、救いを智修尼に求めている。しかし、聖なる存在に見える智修尼も裏では胡散臭い世俗的な人物で、山に籠もっている間に豊市と性的な関係を結ぶようになる(この場面の岸恵子が素晴らしくエロティックだ)。その後、豊市は崖から落ちたショックで正気を取リ戻す。教団の伝説にある初代和泉式部の運命と同じということで「奇跡が起きた」と騒がれ、伊佐も大喜びするが、それも束の間、豊市は元の状態に戻ってしまうのだ。歓喜から一転して深い絶望へ。てるえが他の男の子供を宿したことも知った伊佐は信じるものをすべてなくし、1人で山に残ることを決意する。数年後の穏やかな伊佐の姿が印象的だ。宗教と葛藤と母性愛というさまざまなテーマの中で熊井啓は母の愛を選んで映画を締め括った。結局、この場面で映画の真の主人公が伊佐であり、これが実は偉大な母親の物語であったことが分かるのである。

映画の完成度が高いだけでなく、非常に刺激的、官能的な面を併せ持っている。熊井啓は生真面目なだけで技術的にはそれほどうまい監督ではないと思っていたのだが、認識を改めねばならない。それぞれのエピソードには優に1本の映画を作れるくらいの重みがある。それをまとめて取り入れ、しかも全体の印象は散漫にならず、極めて鮮烈なのである。これは凄い。「サンダカン八番娼館望郷」以来の傑作ではないか。

初めて老け役に挑戦した香川京子は演技賞ものの好演だ。相変わらずうまい原田美枝子、そして「海と毒薬」「千利休本覚坊遺文」に続いて熊井啓作品3作目の奥田瑛二も褒められていい。作り過ぎな面もあるが、狂気と正気の違いを見事に演じ分けている。(1990年10月号)

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