野火
塚本晋也監督作品だからといって、何でもかんでもそこに結びつけるのは良くないということは重々分かっているが、やはりこれは塚本晋也版の「マタンゴ」だと思う。
両者に共通するのは逃げ場のない極限状況に置かれた人間の飢えとそれを解消するための食べ物だ。食べ物は「マタンゴ」においてはキノコのマタンゴであり、「野火」においては人肉だ。どちらも食べれば生き延びることは分かっている。しかしどちらも食べるのはタブーだ。マタンゴを食べればキノコの化け物になってしまう。人肉を食べれば餓鬼に堕ちてしまう。ラストで極限状況を逃れて文明社会に帰還した主人公を描く構成においても両者は共通している。塚本晋也は「野火」を撮っている時に「マタンゴ」は意識しなかったかもしれないが、強い衝撃を受けた作品の影響はどこかに表れてしまうものなのだと思う。
大岡昇平の原作は20代のころに読んだ。当時、NHKで放送されていた「マイ・ブック」で取り上げられて興味を持ったのだ。司会の原田美枝子は印象に残った部分として、手榴弾で肩の肉を吹き飛ばされた主人公がとっさにそれを口に入れるシーンを上げた。以下のような場面だ。
後ろで炸裂音が起こった。破片が遅れた私の肩から、一片の肉をもぎり去った。私は地に落ちたその肉の泥を払い、すぐ口に入れた。私の肉を私が喰べるのは、明らかに私の自由であった。
この場面は映画「野火」でも描かれる。ただ、肩の肉は地に落ちず、肩に乗ったままで主人公・田村(塚本晋也)はそれを取って食べる。
原作を反芻しているうちに、どうも「マタンゴ」の方が「野火」に影響されているのではないかと思えてきた。「マタンゴ」の公開は1963年。「野火」の原作は1951年で市川崑監督版の映画は1959年に公開されている。「マタンゴ」の原作はウィリアム・ホープ・ホジスンの短編「夜の声」(闇の声)だが、映画のプロットはむしろ「野火」の方によく似ており、福島正実と星新一は脚色する際、「野火」の設定を換骨奪胎した可能性がある。ということは「マタンゴ」を好きな塚本晋也が「野火」を撮りたくなるのは必然だったということになる。
さて、塚本晋也版の「野火」は右傾化が止まらない現在において厭戦気分を煽るのに十分な描写に終始する。旧日本軍は食料の補給など最初から考えてもいなかったから、兵士たちは食料を現地調達しなければならない。それにも限界があり、飢えに苦しみ、食料をめぐって争うことになる。そして飢えを癒やすために「猿の肉」と称して人肉を食べる兵隊も出てくる。戦場の怖さは敵の砲弾だけではない。味方の人間同士の醜い争いが戦場の狂気を浮かび上がらせている。
敵の銃撃によって日本兵の腕がもがれ、脳漿が飛び散る場面は後から追加撮影したそうだ。このスプラッターな場面は塚本晋也が「マタンゴ」から離れるためにも必要だったのではないかと思う。