夢
「乱」以来5年ぶりの黒澤明監督29番目の作品だ。「乱」の映像の迫力に感嘆したから、オムニバスと聞いてもある程度の期待を持たざるを得なかった。「夢」にはシンプルな主張が備わっている。語られる8話全体の通奏低音としてあるのは、機械文明の否定や自然保護である。後半の話はそれがストレートに出すぎたきらいがあるのだが、凡作スレスレの危ういところで何とかクリアしている。それは黒澤明が映像で語る監督だからだろう。映像に力があり、80歳の監督が撮ったとは思えないみずみずしさに満ちている。これは黒澤明にとって初の幻想的な作品集であり、僕には第8話「水車のある村」をのぞいてどれもこれも怖い話に思えた。「世にも怪奇な物語」(フェリー二の傑作「悪魔の首飾り」!)を思い出したほどだ。だが断片的なスケッチにもかかわらず、映像そのものの印象がきわめて鮮烈で、オムニバスとしては良い部類に入る出来だと思う。
なかでも素晴らしいのは自伝的な雰囲気を持つ第1話「日照り雨」と第2話「桃畑」である。「日照り雨」は少年が母親に禁じられた「狐の嫁入り」を見てしまう−というだけの話だが、うっそうとした森の雰囲気や狐の造形が日本映画の様式美を伝え、魅力的な世界を作りあげている。狐の動きは能の影響を受けた黒澤明らしい。少年が家に帰ると、母親が「狐はとても怒っていた。死ぬ気で謝ってきなさい」と家の門を閉ざす。少年は色鮮やかな花畑を通って、狐がいるという虹のかなたへ向かう。「桃畑」は雛祭りの日に少年が桃の精に出会う。桃の精たちは、人間たちが桃の木を切ったことを怒るが、少年がそれを悲しんだことを知ると、「もう一度、桃の盛りを」と踊りを見せてくれる。雛人形の扮装で踊る桃の精たちに、桃の花びらが雪のように舞い、大変きれいな場面だ。そして一瞬後、少年の回りには木の切り株しか残っていない。華やかさから無残さへの転化が見事である。
第3話「雪あらし」は雪女を描く。セットなのに、雪山の吹雪の描写は「八甲田山」をはるかに凌ぐ迫力だ。ここまでが日本の昔話に材を取った話であるのに対して、以後は主義主張色を強める。8話のなかで最も怖い第4話「トンネル」は終戦後、捕虜生活から復員してきた主人公(寺尾聰)が田舎のトンネルを通り過ぎたところで、玉砕した部下の亡霊たちに出会う。トンネルの中の真の暗やみ、主人公に向かって吠え続ける軍用犬、ザクッザクッという兵士たちの靴音が不気味だ。小隊でただ一人生き残った主人公は亡霊たちに「頼む、帰って静かに眠ってくれ」と哀願する。不気味さとともに、戦争の悲惨さが浮き彫りにされ、反戦の強い意志が漲っている。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵の中を主人公がさすらう第5話「鴉」を軽いインターミッションとして「夢」は反原発、反核を訴えていく。原発が爆発して富士山が赤く燃え上がり、放射能によって人々が死に絶える第6話「赤富士」。核戦争後の世界を地獄絵図そのままに描いた第7話「鬼哭」。悪夢から一転して最終話「水車のある村」では電気もガスも車もない理想的な生活としての田舎の村が紹介される。第6話から最終話にいたる物語の流れと機械文明否定のテーマは「風の谷のナウシカ」を想起させた。
黒澤明は日本の監督のなかでは最も映像の何たるかが分かっている人である。その技術はいまも少しも衰えていない。ただ、幼児期の無邪気な夢に比べて、大人のそれは現実的すぎる。繰り広げられる画面の見事さには感心したが、もっと自由に想像の翼をはぱたかせてほしかったという思いも残った。早くも製作が決まった次作に期待しよう。(1990年6月号)
【データ】1990年 2時間 黒沢プロ
監督・脚本:黒沢明 撮影:斎藤孝雄 上田正治 美術:村木与四郎 桜木晶 音楽:池辺晋一郎 製作:黒沢久雄 井上芳夫
出演:寺尾聰 倍賞美津子 原田美枝子 いかりや長介 マーティン・スコセッシ 笠智衆 伊崎充則