It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

回路

「回路」

黒沢清監督にSFを作るつもりはなかったのだろうが、後半の展開は破滅SFそのものである。人通りが絶えた東京で主人公2人が逃走する姿はジョージ・A・ロメロ「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968年)で小屋に立てこもる人々の絶望感を連想させる。いや、相手がゾンビであるなら頭を破壊すれば退治することができたが、この映画の相手は幽霊。押しとどめる力はどこにもなく、絶望感はいっそう濃い。人類を絶滅させるのが幽霊というこのアイデア、極めて独自性に富む。しかも幽霊たちには人類を絶滅させようなどというつもりはさらさらなく、人類に対して明確な攻撃の意図があるわけでもない。しかし人間は幽霊に触れると、死んでしまうのだ。霊界の広さにも限界があったという仮説が紹介されるだけで、幽霊がなぜ人間界に入り込んでくるのか明快な説明はないけれど、ホラーの設定を突き詰めた結果、SFに近い映画に仕上がった。あかずの間の怖さ、幽霊の不気味な動きと姿、銀残しを用いたくすんだ映像、シュールな設定が魅力的だ。

主人公の工藤ミチ(麻生久美子)は観葉植物販売の会社で働く。同僚が1週間も姿を見せないのを不審に思い、アパートを訪ねたところ、目の前で同僚は首つり自殺をする。その不審な死に何か異変が起こっているという予感をミチは抱く。もう一人の主人公川島亮介(加藤晴彦)は大学生。プロバイダにサインアップしてネットにつなぐと、不気味なサイトが現れる。パソコンの電源を切ってもそこに自然につながる不気味さを大学で亮介が話しているのに電子工学科の学生唐沢春江(小雪)が興味を抱く。先輩の大学院生吉崎(武田真治)は霊界の広さが限界に達し、幽霊がこちらの世界に来ようとしているとの仮説を話す。いったん回路が開かれてしまえば、それは動き出す。幽霊たちは猛烈な勢いで人間界を侵食しているらしい。ミチの会社ではあかずの間に入った同僚が恐ろしい幽霊の姿を見て消え、続いて社長も姿を消す。あかずの間は赤いテープで封印された部屋。そこにはいったい何があるのか。やがて人々は次々に姿を消していく。春江も亮介とミチの目の前で自殺。世界の異変は今や目に見える形で進んでいた。

発端はネットにあったにせよ、黒沢清がネットにあまり関心を持っていないのは描写を見ればよく分かる。ネットスリラーというコピーだが、これはネットがなくても成立する話なのである。幽霊界と人間界の回路(あかずの間)が開いたことで、人間界は破滅へと向かう。ミチの目の前で飛び降り自殺する女(ワンカットで飛び降りから地面への激突までを見せる)や煙を吐きながら墜落する飛行機、所々でどす黒い煙を漂わせる東京の描写は秀逸。まるでブレイクダンスのような幽霊のぎくしゃくした動きは恐怖以外の何物でもない。そうした物理的な恐怖に加えて、黒沢清は孤独という恐怖を描く。春江は優秀で美人ありながら、孤独に苦しんでいる。死の世界に旅立った春江はそこで永遠に続く孤独を味わうことになる。人間が次々に消え、残された主人公たちにも仲間がいないことの恐怖(絶望感)が押し寄せるのだ。

霊界の侵食というアイデアはあまりSF的ではないのだが、それでもこれは描写において破滅SFを踏襲している。人間がいなくなっていく恐怖は「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」のほかに「ボディ・スナッチャー 恐怖の街」(1956年)や「オメガマン」(1971年)「マタンゴ」(1963年)などと共通する味わいがあるのである。脚本に弱い部分が散見されるにせよ、「回路」はこうした恐怖を描いて見応えのある作品と思う。もう少しSFにシフトしていれば、傑作と断言するところだ。

【データ】2001年 1時間58分 「回路」製作委員会 配給:東宝
監督:黒沢清 製作総指揮:徳間康快 製作:山本洋 萩原敏雄 小野清司 高野力 脚本:黒沢清 撮影:林淳一郎 美術:丸尾知行 羽毛田丈史 主題歌:Cocco「羽根 Lay down my arms」 VFXスーパーバイザー:浅野秀二 CGディレクター:立石勝 デジタル・アートディレクター:加藤善久
出演:加藤晴彦 麻生久美子 小雪 有坂来瞳 松尾政寿 武田真治 役所広司 風吹ジュン 菅田俊 水橋研二 塩野谷正幸 一条かおり 高野八誠 高島郷 結城淳 森下能幸 哀川翔

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