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1973年の金大中拉致事件を描くポリティカル・サスペンス。日韓の工作員が暗躍する、こういう闇の部分を描く映画が成立すること自体、日本映画では珍しい。未だに真相が分からない金大中事件は貴重な題材なのだ。阪本順治監督は正攻法の演出で、映画を構成しているが、十分面白いかというと、面白いことは面白いがメリハリを欠いたな、というのが率直な感想。韓国大使館の一等書記官でKCIAの命令に従って拉致を決行する金車雲(キム・ガプス)が一直線なキャラクターであるのに対して、日本側のキャラクターはどこかねじれており、拉致に協力する自衛隊員・富田満州男(佐藤浩市)には分からない部分が残る。三島由紀夫に共感し、反共意識を持つ人間というキャラは分かるのだが、それが拉致に協力していく考え方の変化に説得力を欠いている。佐藤浩市の演技そのものは良いのだが、主役がこういうあいまいな状態では困る(荒井晴彦の脚本ではこれが書き込まれていたようだ)。
パンフレットの役の設定を読むと、主人公は満州生まれで、侵攻してきたソ連兵によって母親を殺され、現地召集された父親はシベリアに抑留されて強制収容所で病死、とある。ソ連=共産主義への憎悪はここから発しているわけだが、これが映画では十分には描かれていない。だいたい主人公の共産主義への憎しみがあまり伝わってこない。だから「金大中の目的は統一ではなく、北との合併だ」と聞かされたことで拉致に加担していく主人公の心情に納得できにくいのである。ソ連→共産主義→北朝鮮→金大中という構図は回りくどい。
富田と韓国人女性・李政美(ヤン・ウニョン)との関係は、ラストへの重要なエピソードになるわけだから、これももっと描きこむべきだったように思う。KCIAから拷問を受け、体に傷を持つこの女性の悲劇性が単に設定だけで終わってしまっている。大衆紙の記者・神川昭和(原田芳雄)は特攻隊と共産主義のどちらにも愛想を尽かし、右でも左でもない人物だが、やはり事件の中核には関わりようがない。韓国語を話せない在日韓国人で、金大中のボディガードとなる筒井道隆の役柄はちょっと中途半端で、最後に泣いて終わるだけではもったいない気がする。
つまり、日本側のキャラクターには切実さが足りないのである。これに対して、拉致実行のリーダーとなる金車雲は朴政権の命令に従わなければ、自分だけでなく家族の命さえ危ない。追い詰められ、個人の自由な考え方を束縛されたところで行動せざるを得ない状況なのだ。演じるキム・ガプスの強面の演技と悲劇的なキャラクターは強い印象を残し、日本側のキャラクターを食っている。興行上の問題は別にして、こちらを主演に据えた方が映画としてはまとめやすくなったのではないか。
拉致事件によって日本の主権は侵害されたにしても、この事件自体、日本は最後まで傍観者だった。それを無理矢理キャラクターをこしらえて、関係させようとするには無理がある。当時の日本側の甘さと韓国側の厳しさがそのままこの映画にも反映されてしまったようだ。阪本順治監督は社会派の視点を含んだエンタテインメントを作ろうとしたらしい。もともと人間を描かせたら、うまい監督だが、今回は状況を描こうとして惜しいところで失敗した、という印象が強い。「楯の会」の市ヶ谷駐屯地占拠事件で幕を開け、神川が「仁義なき戦い 広島死闘編」「マル秘女郎責め地獄」を見る場面があるなど、さまざまな70年代の出来事やガジェットであの時代の雰囲気はよく表現されているが、主役の描き方の弱さで傑作になり損ねた。
【データ】2002年 2時間18分 配給:シネカノン
監督:阪本順治 ゼネラルプロデューサー:李鳳宇 プロデューサー:椎井友紀子 アソシエイトプロデューサー:石原仁美 原作:中薗英助「拉致 知られざる金大中事件」 脚本:荒井晴彦 音楽:布袋寅泰 撮影:笠松則通 美術:原田満生
出演:佐藤浩市 キム・ガプス チェ・イルファ 筒井道隆 ヤン・ウニョン 香川照之 大口ひろし 柄本明 光石研 利重剛 麿赤児 江波杏子 中本奈奈 山田辰夫 康すおん 金廣照 木下ほうか キム・ミョンジン ユ・イルファン キム・デソン キム・ビョンセ 原田芳雄