ゴジラ×メカゴジラ
手塚昌明監督の前作「ゴジラ×メガギラス G消滅作戦」(2000年)とは正反対にVFX部分が良いのにドラマがまったくダメである。釈由美子扮する主人公の家城茜は1999年のゴジラ襲来の際、メーサー砲の操縦を誤り、仲間の自衛隊員が乗った車を崖下に転落させてしまう。車の乗員はゴジラに踏みつぶされて死亡。茜は資料課に転属させられる。この設定ならば、“私はゴジラを許さない”的展開になるはずなのだが、それをやってしまっては「ゴジラ×メガギラス」の田中美里の役柄と同じになる。手塚昌明はそれを避けようとして、茜をだれからも希望されずに生まれた天涯孤独な人間として、社会のすべてと戦ってきたキャラクターに仕立てた。それはいいのだが、こうした設定は茜の口から説明されるだけで、描写としては一切ない。これが弱い。釈由美子は「修羅雪姫」を引きずったようなキャラクターを懸命に演じているのに、手塚昌明の演出とストーリーはそれを十分に生かしていないのである。1時間28分の上映時間は併映の「とっとこハム太郎 ハムハムハムージャ!幻のプリンセス」に圧迫されたためでもあるだろうが、主人公の心情を十分に描かないと、説得力を欠き、薄っぺらな映画になってしまう。通り一遍の描き方が惜しい。恐らく子供向けを意識したであろう宅間伸親子のエピソードなどばっさり削り、ヒロインを十分に描いてくれたなら、傑作になる可能性もあったと思う。
機龍(メカゴジラ)の設定はテレビの巨大ロボットものを踏襲したものになっている。メカゴジラは昭和29年に芹沢博士のオキシジェン・デストロイヤーで殺されたゴジラの骨からDNAを抽出して生体ロボットとして作られた。このため、ゴジラとの最初の戦いでゴジラの咆哮に共鳴して操縦不能になり、暴走してしまう。それを修復した2度目の戦い。最初は遠隔操作で操るが、ゴジラの攻撃にダメージを受けて操縦系が故障し、ヒロインはメカゴジラのメンテナンスルームに乗り込んで直接操縦することになる。ここでメカゴジラとヒロインの心情がシンクロする場面はエヴァンゲリオン的な描写なのだが、これまた描写が簡単すぎてドラマティックなポイントにはなっていない。ここを効果的な描写にするためにもヒロインをもっと緻密に描く必要があった。そしてここをポイントにすれば、SF的にも評価できる映画になったのではないか。
メカゴジラが発射するミサイルの楕円を描く軌道の描写などVFXは満足できるレベルにある(特殊技術担当は「ガメラ3 邪神覚醒」や「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」にも参加した菊地雄一)。最近のゴジラ映画の中では屈指といっても良いVFXなのに、ドラマ部分の弱さで平凡な作品になってしまった。気になるのは過去の映画のコピー的場面が多いこと。夕陽にたたずむメカゴジラの姿は「ガメラ 大怪獣空中決戦」のギャオスのようだし、ロボットにヒロインが乗り込んでゴジラと戦う設定は「ゴジラVSキングギドラ」、氷の心を溶かされていくヒロインの設定はそれこそ「修羅雪姫」(しかし、演出的にはほど遠い)だ。宅間伸のコミカルなキャラクターはヒロインのクールな役柄とまるで合っていないし、ヒロインのミスで兄を殺された葉山(友井雄亮)との確執だけにした方が良かっただろう。過去のゴジラ映画に登場した俳優たちによるさまざまなゲストキャラクターも僕には不要なものに思えた。手塚昌明に必要なのは物語に説得力を持たせる技術と普通のドラマの演出力なのだと思う。
【データ】2002年 1時間28分 配給:東宝
監督:手塚昌明 製作:富山省吾 エグゼクティブ・プロデューサー:森知貴秀 脚本:三村渉 撮影:岸本正広 音楽:大島ミチル 特殊技術:菊地雄一 美術:瀬下幸治
[特殊技術]撮影:江口憲一 造型:若狭新一 操演:鳴海聡
出演:釈由美子 宅間伸 小野寺華那 高杉亘 友井雄亮 中原丈雄 加納幸和 上田耕一 白井晃 萩尾みどり 六平直政 森末慎二 水野純一 水野久美 中尾彬 田中美里 永島敏行 松井秀喜 谷原章介 中村嘉葎雄 村田雄浩