ポストマン
長嶋一茂製作総指揮&主演。かなり意外なことにこの映画は評判が良く、映画生活でも2ちゃんねるでも「泣いた」「感動した」という声が多い。日本郵政が協力していることから見て、郵便局PR映画であるのは間違いないし、確かにそういう風な場面で幕を開けるのだけれど、単なるPR映画で切り捨てられない、人を引きつける部分を持っているのだ。それは何なのだろうと映画を見ながら思っていた。映画の技術も脚本も演技も物語もステレオタイプの域を出ていない。今時、回想シーンに紗をかけるなどという時代遅れの演出をする映画デビューの今井和久監督にも特に優れた部分は見あたらない。
それでは映画のどこに感動するのか。愚直さ真っ当さ朴訥さ誠実さのある部分なのである。そういうものに価値を見いだすことができる人ならば、この映画は幸福になれる映画だ。一茂が一生懸命に猛スピードで自転車をこぐシーンはそれだけで感動ものだ。一生懸命な姿勢の底にあるのは人の幸福を願う愚直なまでに誠実な信念なのである。そういうものを真正直に見せられたら、僕らはつい冷笑してしまいがちなのだけれど、冷笑したくない雰囲気がこの映画にはある。この映画はアナログで懐かしい雰囲気に包まれた一種のファンタジーなのである。
長嶋一茂が演じるのはオートバイを使わずに自転車で郵便配達をする海江田龍兵。病弱だった妻が死んで間もなく三回忌を迎える。家族は高校受験を控えるあゆみ(北乃きい)と小学生の鉄兵(小川光樹)。あゆみは寮のある私立高校への進学を望んでいるが、龍兵には「家族は一緒に暮らして食卓を囲むのが一番」という信念があり、反対している。
この設定の下、龍兵の生き方が触媒となって周囲の人間が変化していく姿を描く。あゆみの副担任で教師の仕事は腰掛けと思っている臨時教師(原沙知絵)や元はエリート郵政官僚の上司も考え方を改めることになるのだ。郵便を誤配して「300通の中で1通間違えたってそれがなんだ」という開き直る新人に対して龍兵は「受け取る人にとっては1対1だ」と答える。その真摯な考え方と生き方が周囲の人々と同様に観客の心をも動かすのだろう。
実は長嶋一茂主演の映画は「ミスター・ルーキー」も僕は好きだった。あの映画でもまた一茂はプロ野球選手になる夢をあきらめない男に説得力を持たせていた。その一茂のキャラクターは今回もプラスに作用している。まだ人情がある田舎の小さな町が舞台なのもこうしたオーソドックスな物語に説得力を持たせることになったのだろう。
蛇足的に付け加えておくならば、こういう諸々の要素があったにしても、必ずしも映画が成功するわけではない。この映画の成功は危ういバランスの上に成り立っている。同じことやって次も成功するかというと、この演出力ではかなり疑わしいのも事実なのである。また同じパターンで見せられたら、僕は冷笑するかもしれない。