ヒミズ
「頑張れ、住田、がんばれーっ」という二階堂ふみの叫びに震災後の風景を重ねる場面などあまりにも意図が見え見えであざとくてシラケそうになるし、内容は「なんだ、長谷川和彦『青春の殺人者』の劣化コピーじゃないか」と悪口の一つも言いたくなるのだけれど、言わない。二階堂ふみと染谷将太が素晴らしく良いからだ。ベネチア映画祭での新人賞ダブル受賞はまったくふさわしい。未来を背負う2人にぴったりな上に、映画のテーマともはっきりと重なっている。
60年代から70年代にかけての青春映画の重要なモチーフとなったのは貧しさから来る閉塞感だった。貧しさが消えた今、日本映画にはふやけた青春映画しかなくなった。それを打ち破ってくれたのは一昨年の「悪人」だったのだけれど、「ヒミズ」の閉塞感は人の荒んだ心から生まれている。
中学3年生の主人公住田祐一(染谷将太)と茶沢景子(二階堂ふみ)の両親はどちらも親としての役目を果たさないばかりか、子供に悪意(どころか、殺意も)を向ける最低の親たちだ。茶沢がべたべたと住田にまとわりつき、お節介を焼くのは住田が自分と同じ境遇であることをどこかで分かっているからなのかもしれない。映画は若者2人の閉塞感に震災後の社会の閉塞感を重ね合わせるという分かりやすいことをやっているが、そうした演出上のマイナスを差し引いても主演の2人の切実な姿には胸を強く打たれる。染谷将太と二階堂ふみは「青春の殺人者」の水谷豊と原田美枝子に匹敵すると言って良い。
園子温の映画の作りは今回もデフォルメにデフォルメを重ねた極端なもので、叫び、罵り合い、殴り合うシーンが多い。パンフレットで佐藤忠男は「はじめから終わりまでずっとクライマックスが続くような映画」と評しているが、それが可能になったのはデフォルメの中に真実を込めたからだろう。
住田の父親が借りた600万円を消費者金融に肩代わりする夜野正造(渡辺哲)は「なぜ見ず知らずのあの坊主のためにそんなことをするんだ」と聞かれて「未来です。あの子に未来を託したいんだ」と答える。単純な悪いやつかと思われたその消費者金融会社の社長(でんでん)は「お前には腐るほど道があるのに、勝手に自分を追い込んでいる」と住田に話す。デフォルメした過激な描写と随所にある真実の言葉がうまく融合しており、この映画のスタイルは園子温独自のものだ。
人が一生懸命に走る姿はそれだけで感動的だ。二階堂ふみが染谷将太と一緒に走るラスト、2人は未来に向かって走っているのであり、未来を信じた姿なのだと思う。
吹越満と神楽坂恵の「冷たい熱帯魚」の夫婦が住田のボート小屋のそばに住んでいたり、黒沢あすかが茶沢の母親だったり、「愛のむきだし」の西島隆弘が街角で歌っていたりと、園子温の過去の映画の面々が至る所に出てくるのも楽しい。叫ぶだけの青春映画ではなく、過激さの果てにあるユーモアがこの映画にはある。