It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

八月の狂詩曲

前作「夢」に続いて、黒沢映画のメッセージ色はより顕著になった。原爆のゲの字もなかった村田喜代子原作「鍋の中」を長崎原爆投下の影響を軸にした話にアレンジして反戦を強く訴えている。その主張の仕方に僕は少し疑問を感じて、「これなら外人記者から反発が出るのも当然だ」と納得してしまった。映像は見事なまでに美しく、力強いクロサワ・タッチを堪能したが、話の作りがそれほどうまくないのである。

長崎市街地から少し離れた所に住むおぱあちゃん(村瀬幸子)にある日、エアメールが届いた。ハワイに移住し、今はパイナップル農園を経営して大金持ちになった兄からのものだった。十三人も兄妹がいたおばあちゃんに、この兄の記憶はなかったが、息子(井川比佐志)と娘(根岸季衣)は大喜びしてハワイまで出掛けてしまう。お陰で四人の孫が夏休みをおばあちゃんの家で過ごすことになった。小学校の教師だったおばあちゃんの夫は原爆で死亡。ほかの兄妹のうち何人かも原爆の犠牲になった。おばあちゃんは爆心地から遠い所にいたため助かったが、やはり放射能の影響を受けて頭髪が薄くなっている。孫たちはおばあちゃんの話と原爆の傷跡(おじいちゃんが勤めていた小学校にはグニャリと溶けたジャングルジムがある)を見て、原爆とそれを投下したアメリカに対する怒りを募らせていく。平和祈念公園には世界各国から平和を願って、さまざまな像が届けられているが、アメリカからのものはない。「アメリカが原爆を落としたんだから、当然じゃない」と孫たちは語り合うのだ。そんな時、ハワイの兄の息子クラーク(リチャード・ギア)がおばあちゃんを訪ねてくる。

原爆は付け足し程度のことだろうと予想していたが、それが話の中心になっていることに驚いた。むろん反核・反戦の主張は良いことである。しかし、原爆を投下したからアメリカは悪いという描き方では「それならパール・ハーバーはどうか」「日本軍がアジアで行った虐殺は悪くないのか」と切り返されてしまう。おばあちゃんは「アメリカが悪いのではなく、すべて戦争のせいだ」と孫たちに諭すが、これもほとんど誤りと言わねばならない。こうした論法は戦争を抽象的なレベルに落とすだけのことなのである。外人記者たちの反発の中心は、被害者意識からの反戦の主張にあった。日系人でもある甥のクラークが原爆投下を謝りに来るというまったくありえない設定が、それに拍車をかけている。

映像は「夢」に比べるとおとなしいが、黒沢らしさが随所に見られる。孫たちの着る洋服の色までに神経を配り、画面の色彩は隅々まで計算されつくしているようだ。ラストの暴風雨や迫力のある滝の描写、森の中の不気味な雰囲気などに映像派の面目がある。ただ、そうした素晴らしい映像をもってしてもストーリーを納得させることには失敗している。

脚本が弱いのだ。かつての黒沢映画なら、脚本はチームを組んで十分に練られていた。今回は「夢」と同じく黒沢ひとりで書いている。映像のスケッチとしての意味合いが濃かった「夢」では脚本の比重は大きくなかった。今回はどうしても優れた脚本がなければ、成立しない類の話なのである。

今の黒沢にもっとも必要なのは、脚本の共同執筆者なのだと思う。完壁な映像と極めて平凡な脚本。「八月の狂詩曲」にはアンビバレンツな思いを抱かざるを得ない。30作目となった黒沢映画が、これで最後にならないことを強く願う。(1991年6月号)

【データ】1991年 1時間38分 黒沢プロ
監督・脚本:黒沢明 原作:村田喜代子 撮影:斎藤孝雄 上田正治 音楽:池辺晋一郎
出演:村瀬幸子 吉岡秀隆 大浜智子 鈴木美恵 伊崎充則 リチャード・ギア

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