海へ SEE YOU
多分つまらない映画だろうと思って見に行ったら、やっぱりつまらなかった。今年は既に「敦煌」という退屈の極致の映画を見ているから、この程度のつまらなさで腹は立たないが、2時間50分もの貴重な時間の浪費は惜しい。
原案はなんとジョゼ・ジョバンニである。ジョバンニは映画監督として以外に、「穴」「犬橇」「復讐の狼」など傑作冒険小説の書き手として知られている。だから、製作者が依頼して半年後に“できあがってきたものは「冒険者たち」のその後といった色合いが強いものだった。イタリアの男とフランスの女と、そして健さんの三人が主人公で、アラブの独立運動が出てくる冒険だった”(キネ句984号)。この映画の題名が当初、「砂の冒険者たち」だったのは、そのためである。そういう話だったら、どんなに良かったことか。冒険小説ファンの僕は、そう思う。
しかし、倉本聰がシナリオ化したものはパリ−ダカール・ラリーを中心に据えた、単なる男女の色恋模様にすぎなかった。アラブの独立運動はスケールが大きくなりすぎるとの理由からはずされた。われわれ冒険小説ファンは、たかだか1万3000キロのラリーを冒険とは認めない。冒険小説とは死からの帰還、あるいは男(女でもいい)の復権の物語なのだ。某映画のコピーにあった“冒険とは生きて帰ってくること”などは、とんでもない勘違いである。この時点で映画は冒険色を失った。だから題名も変えざるを得なかったのだろう。
それにしてもラリーにかかわる男女のドラマがなまぬるい。ある人気スター(大橋吾郎)がPRのため、ラリーに出場する。このスターを愛する女性歌手(桜田淳子)がレコード大賞も紅白歌合戦も投げ出して後を追う。高倉健が演じるのは、スターが参加したチームのサポート役である。映画の主役はラリーの主役ではないわけだ。健さんのかつての妻(いしだあゆみ)も現在の夫であるスペイン人の闘牛士とともにラリーに出場する(なんで闘牛士がラリーに出るのさ!)。そして健さんの友人でやはり、いしだあゆみとの結婚経験を持つフランス人(フィリップ・ルロア)も救助班としてラリーに参加…。ウーム、まるでリアリティのない設定と言わねばなるまい。いしだあゆみが奔放な女を演じるのも似合わない。
こうした人間関係を最初の30分で説明した後、ラリーはスタートする。そしてこの種の映画の常套手段として回想を織り混ぜながら、ラリーの模様を描いていく。この回想が駄目である。健さんは北海道出身で、いかにも倉本聰的な過去を引きずっているのだが、これがラリーとは何の関係もない。だからまあ、キャラクターにある程度の膨らみを持たせることはできても映画に深みは出てこない。回想は映画を間延びさせているだけなのである。ドラマの方もさっぱりで、ラリーの苛酷さが少しも伝わってこない。恐らく、倉本聰も監督の蔵原惟繕も冒険というものに対して理解がない。ラリーについても同様だろう。せっかくラリーを舞台としながら、つまらない人間ドラマを描こうとしたのに間違いがあった。高倉健自身が、「例えば『ローマの休日』のような豊かさを持った、作る側も見る側も幸せな感じになれるような映画にしたがったというのだから絶望的である。そういうことは別の題材で描けばいいのだ。(1988年6月号)
【データ】1988年 2時間54分 東宝=ニュー・センチュリー・プロデューサーズ
監督:蔵原惟繕 製作:岡田裕 脚本:倉本聰 撮影:佐藤利明 音楽:宇崎竜童 千野秀一
出演:高倉健 いしだあゆみ 桜田淳子 大橋吾郎 小林捻侍 宇崎竜童 加藤治子 宅間伸