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スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする

「スパイダー 少年は蜘蛛にキスをする」チラシ

デヴィッド・クローネンバーグの「裸のランチ」ほどのわけの分からない面白さはなく、ストーリーが分かり易すぎるのである。そうか、そういうことかと納得してしまうようでは何だか面白くない。妙に辻褄が合ってしまっている。作りがエンタテインメントになっているわけでもなく、鮮烈なイメージもなく、あるのはクローネンバーグのジュンブンガク趣味だけということになる。

原作はパトリック・マグラー。脚本もマグラーの手によるものだ。キネマ旬報によると、マグラーは「文学系ホラー作家として人気を博す」とある。この物語の根幹は母親の死の真相で、浮気の現場を見られた父親(ガブリエル・バーン)が衝動的に殺したのかと思ったら、実はという展開にある。加えてここに精神分裂病の症状が絡んでくる。もういくらでも面白くできそうな題材である。真実と思っていたものが違っていたという展開は描写次第では現実と虚構との揺らぎを描くこともできただろう。クローネンバーグも「イグジステンズ」でそういうものを描いていた。しかし、この映画は主人公が列車からフラフラと降りてくる冒頭から主人公の症状を中心に描いていく。残念ながら、これがストーリーと有機的なつながりをしているとは思えない。狂気の人間が現実と空想の区別がつかなくなるのはしょうがないや、と思えてしまうのである。ノートをタンスの引き出しに入れたり、カーペットの下に隠したりの強迫神経症的な描写と物語の核とをもっと結びつける必要があった。単に精神分裂病の男を描いただけの話に終わっていて、プラスアルファの部分がないのは残念だ。

かつてのクローネンバーグは肉体の変容を描く作家だった。初期の「ラビッド」から「スキャナーズ」「ビデオドローム」「ザ・フライ」などはSF的なイメージと話の展開にわくわくしたものだ。これが「戦慄の絆」など精神世界をメインの題材にするようになって、やや難しくなってきた。難しいというのは映画の内容ではなく、演出の方法としてである。肉体の変容が主人公の精神にも影響を及ぼすという話は分かりやすいのだが、精神の変化は視覚的でない分、描写の方法が難しい。最近の作品がどこかマイナーなのはそのためでもある。こういう話ならば、小説で読めば十分と僕は思うし、小説の方がもっと面白くできるだろう。視覚的でないものを選んで無理に映画にしている感じが近年のクローネンバーグにはあり、それは初期のころからのファンとしては残念なところでもある。

当初の脚本には、切ったジャガイモから血が流れるという描写があったが、クローネンバーグは「露骨な見せ方の妄想の世界ではなく、焦点を絞ったリアルなものを」目指すためにカットしたそうだ。ジャガイモから血が流れる場面が一つだけあっても、映画の本質が大きく変わるわけではないが、そういう小さなイメージの積み重ねは映画を決定的に変えていく。イメージを大切にした次作をクローネンバーグには期待したい。

【データ】2002年 フランス=カナダ=イギリス 1時間38分 配給:ブエナ ビスタ インターナショナル
監督:デヴィッド・クローネンバーグ 製作:デヴィッド・クローネンバーグ 原作・脚本:パトリック・マグラー 撮影:ピーター・サシツキー 美術:アンドリュー・サンダース 音楽:ハワード・ショア 衣装:デニース・クローネンバーグ
出演:レイフ・ファインズ ミランダ・リチャードソン ガブリエル・バーン リン・レッドグレーブ ジョン・ネヴィル ブラッドリー・ホール

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