It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

エイリアン3

この映画が哲学的だなどというのは、何かの勘違いである。あのジェームズ・キャメロン監督のパート2に比較すると、いかにも貧相で、大作を締め括る完結編にはふさわしくない。ストーリーの暗さはいいとしても、画面の暗さには我慢できない。想像していたほどつまらなくはなかったけれど、エイリアン軍団との戦争を見た後で、たかが1匹のエイリアンに右往左往するスケールの小ささに満足できるわけがないではないか。5000万ドルと言われる製作費はいったいどこに使われたのだろう。

閉鎖された場所にエイリアンが紛れ込んで、人間たちを襲う−という設定は1作目とよく似ている。1作目はA・E・ヴァン・ヴォートの傑作「宇宙船ビーグル号」のアイデアを借りており、エイリアンは凶暴性と高い知能を合わせ持つ生物だった(もっともそう言うのは人造人間のアッシュだけで、高い知能を発揮する場面はなかったが…。また、ジョーンジーという猫が登場するのはヴァン・ボートの小説のエイリアンが猫型だったからではないかと思う)。エイリアンの生態は2作目で、クイーンを中心にコロニーを形成するアリやハチのような生物として描かれた。そして今回は寄生した生物の遺伝子を取り入れる生物へと変わり、犬から生まれたエイリアンは四本足で走り回るのだ。

舞台は染色体異常の凶悪犯を収容した流刑惑星。宇宙船に緊急事態が発生し、リプリーたちは冷凍睡眠のまま、救命艇でこの惑星に流れ着く。墜落の衝撃でニュートとヒックスは死亡。人造人間ビショップも大破してしまう。しかし、救命艇にはエイリアンも潜んでいた。犬に寄生したエイリアンは腹を食い破って現れ、人間たちを襲い始める…。1作目よりも、ジョン・カーペンター「遊星からの物体X」と比較した方がいいかもしれない。犬から現れるという二番煎じだけで、もはやマイナスである。その後はエイリアンとリブリーたちの戦いとなるわけだが、アイデアが足りない。SFXも少ない(リチャード・エドランドのボス・フィルムはいったい何をやっておるのだ)。閉鎖的な汚いセットと魅力のない登場人物たちぱかりでは、リプリーに起こる運命的な悲劇が盛り上がらない。スキンヘッドのシガニー・ウィーバーの熱演も空回りしている。

この映画の製作を巡るゴタゴタは映画雑誌に多数紹介されている。ウィリアム・ギブスンに始まった脚本は難航し、多くの脚本家が携わったが、決定稿が出来上がったのは撮影開始の2週間後。監督もあの「ダイ・ハード2」のレニー・ハーリン、ヴィンセント・ウォードを経て、ようやく27歳の新鋭デヴィッド・フィンチャーに落ち着いた。そうしたゴタゴタはすべて負の要素として働いてしまった。個人の力ではどうしようもない破滅へのうねりが映画を飲み込んでしまったかのようだ。ハーリンが監督を降りた後に語った「スコットとキャメロンの偉大な作品の退屈なカーボン・コピー」という言葉が、この映画のすべてを表現しているように思う。

シリーズ物が回を追うごとにつまらなくなるのは珍しいことではない。「スター・ウォーズ」だって3作目は面白さに欠けた。エイリアン・シリーズは2作目が抜群の面白さだっただけにその落差が大きいのである。3作目も高い水準を保った「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ(3作.ともロバート・ゼメキスが監督したのが良かったのだろう)のような成功例は、極めてまれであることを改めて痛感した。(1992年10月号)

【データ】1992年 アメリカ 1時間55分
監督:デヴィッド・フィンチャー 製作総指揮:エスラ・スワードロー 製作:ゴードン・キャロル デヴィッド・ジャイラー 原作:ビンセント・ウォード 脚本:デヴィッド・ガイラー ウォルター・ヒル ラリー・ファーガソン 撮影:アレックス・トムソン 音楽:エリオット・ゴールデンサル
出演:シガニー・ウィーバー チャールズ・ダンス チャールズ・S・ダットン ランス・ヘンリクセン ポール・マクガン

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