It's Only a Movie, But …

シネマ1987online

ボーン・アルティメイタム

ボーンのアイデンティティー(正体)見たり枯れ尾花。

と言いたくなるような映画だった。いったいあの研究所は何をやったのか判然としない。ボーンに暗殺者になることを強要するためだけだとしたら、研究所なんて不要だろう。原作はどうなっているのだろう。ヒッチコックはサスペンスの核となるものはレッド・ヘリング(赤にしん)でいい、と言った。これを曲解すれば、こういう映画が出来上がる。

シリーズ第3作。前作でも感じたことだが、このシリーズに不足しているのはエモーショナルな側面。今回も主人公のボーン(マット・デイモン)はまったく感情を表さず、襲い来るCIAの暗殺者たちをてきぱきと撃退する。ただそれだけの映画である。ボーンの原動力となっているのは自分のアイデンティティーの探求と恋人を殺された恨み。というのは設定だけにとどまっており、ボーンは泣くこともわめくことも怒ることも喜ぶこともなく、だからエモーションが欠落しているように見えるのだ。ついでに言えば、ボーンにはCIAの不正を暴くための正義感もない。いや、あるのかもしれないが、画面には表れない。

要するに作りが人工的、デジタル的なのである。アクションを羅列するだけで、主人公の感情が立ち上ってこないので、味気ない映画になってしまう。

映像は短いカットの積み重ねてテンポが良いけれど、カットを割ってはいけない格闘シーンまで割っている。見せるべき格闘はちゃんと見せた方がいいのでは、というのは1作目から感じていることだ。短いカットの積み重ねはポール・グリーングラスの前作「ユナイテッド93」でも使っていた。こういう短いカットで思い出すのは「ストリート・オブ・ファイヤー」。もっともウォルター・ヒルのようなスタイリッシュさはグリーングラスにはない。

ジャッキー・チェンやジェット・リーがワンカットでアクションを見せるのは、アクションが本物であることを示すためでもあるだろう。カットを割れば、どんなことでもでき(るように見え)てしまうからだ。俳優の生身のアクションの伝統は1920年代のロイド、キートンまでさかのぼるのだ。

僕はまったくつまらなかったわけではないが、もう少し何とかならないのかと見ていて思う部分が多かった。このスピード感にエモーショナルな部分が加われば、映画はもっと面白くなっていただろう。足を止めて描く部分に情感が必要だし、これまでに何度も書いてきたが、主人公の激しいアクションを正当化するのは激しい感情にほかならないのだ。

それにしてもジェイソン・ボーンは不死身だ。ラストの処理などは「13日の金曜日」のジェイソンと同じようなものでしたね。

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